「とにかく一生懸命でしたね。思えば、20代の頃はいろんなことでつまずいていた激動の時期でした」
サービス開発で公開3日前に一部の仕様が抜けていることがわかり公開延期。大騒ぎになり、発注元に謝罪し「これでキャリアは終わった」と思ったという手痛い体験も。また、考え方が合わない上司と仕事し、苦悩したこともある。
「もともと物事をはっきり言いすぎるタイプなので、周囲から『宇田川さん、グレーというのもあるんですよ』と言われた経験も(笑)。今は役員なので、はっきり意見を言うことが役割でもありますが、言い方には気を付けるようになりました」
99年にはNTTドコモがiモードのサービスを開始し、携帯電話用のコンテンツ事業が盛んになった。新会社バンダイネットワークスに転籍して、32歳のとき、マネジャーとなり仕事がぐんぐん面白くなった。10人ほどのチームを率い、コンテンツを開発。“自分の色”を出せる立場にやりがいを感じていたが、好事魔多し。キャリアで最大の後悔もこの時期に抱えることになった。
キャリア最大の失敗は、思い込みから招いた
携帯電話が進化し、現在のLINEスタンプのようにメールでキャラクターの画像を送れる仕様になったが、IP(知的財産)のルールから、購入していない人にも画像を渡せる仕組みは権利関係がクリアできないだろうと思い込み企画にしなかった。しかし、そこは競合の多いコンテンツ業界。他社が先駆けてそのサービスを開始し、業績を伸ばしていった。
「自分でもこれは面白いな、ヒットするだろうと思っていたのに、どうしてやろうとしなかったのか……。手掛けた会社が流行らせているのを見ると、自分で自分を説得できない。悔しさを感じました。“やった”失敗ではなく、“やらなかった”失敗って、強く印象に残りますよね」
趣味はプロ野球観戦で、読売ジャイアンツが好きと語る宇田川さんは、まるでたたき上げの強打者のようだ。チーム発足時、若くしていきなりレギュラー入りし、試合に出ながら主力選手に成長。そして、絶好のチャンスボールが来たときにバットを振らなかったことをずっと忘れない。
その苦い経験から次のチャンスは逃さなかった。2012年、基本料金無料、従量課金のソーシャルゲームが人気になったタイミングで、「機動戦士ガンダム」のオンライン専用ゲームをリリース。11年度に30億円だったコンテンツ事業の営業利益を、3年後の14年度には370億円超にまで成長させた。近年は、「ドラゴンボール」のゲームアプリがヒット。ネットワークコンテンツに黎明期から取り組み、デバイスやプラットフォームの変化に対応しながら実績をつくり、満を持して次々にホームランを飛ばしていった。