高度成長期に地銀が果たした役割

わが国が奇跡の高度成長を実現できた根源には、無論産業界の不屈の努力が大前提ですが、製鐵、製紙、造船重工業、自動車、電機など、発展途上経済に欠かせぬ重厚長大産業が事業成長するためには、当然のことながら莫大な資金が不可欠でした。先進国であれば資本市場経由で調達した資金をベースにして借入金を重ねるカタチで成立する資本構成が、当時の日本においては資本市場機能が未熟であったため、専ら資本性資金も併せて銀行が資金供給を行ったわけです。要するに当時の銀行は、銀行本来の役割を超えてすべからく真のリスクマネーを産業界に提供する、勇気と気概に満ちた社会的存在だったわけです。

地方銀行は各地の地域経済再生と発展に資する産業資本を、当該地域の銀行が地元生活者の預金をベースに融通するという、地域循環サイクルの要たる金融機能をしっかり果たしていたと言えましょう。

高度成長期の日本経済には新たな産業がどんどんと勃興し、各銀行がそれらの資金需要にことごとく応えていく金融構図の中では、預金は経済活動の中で常に不足状態でした。従って需要が大きく上回る環境下では恒常的に貸出金利も高く設定され、一方産業界はその金利負担を十分吸収できる事業成長をしていたため、銀行はしっかりと融資による金利収益が得られました。そして銀行の経費を差し引いても相応に高い預金利息を預金者である生活者に還元できた。これが成長の配当としての預金金利だったのです。

利息が付与されて増えたお金を国民は再度預金に回す。こうして銀行経由で供給される産業資本も増加し、さらなる経済成長を後押しして、再び銀行が得る金利収入を通じて預金者に利息が付加されて還ってくる。銀行を仲介機能の主軸として融資資金をベースにした、いわゆる間接金融システムが20世紀の高度成長経済を支える金融メカニズムだったわけです。

ゼロ金利時代の到来

日本の生活者の大切な預金がわが国高度経済成長の礎となったこのサイクルは、1990年代に入り経済が一気に成熟化へと転換期を迎えたことによって、一転機能不全に陥ることになります。成長期を終えた日本の産業界からは、資金需要の恒常的な減少が続きます。集めた預金を貸出しに回すことができず、銀行界は資金余剰を常態化させました。そして産業界から十分な金利収入が得られなくなれば、預金者に利息を付与することもできなくなる。これがゼロ金利時代の到来だったのです。

日本では成熟社会への突入とともに、少子化を伴った急速な高齢社会への進展が始まりました。東京一極集中を所与とした人口動態下では、地方経済で人口減少が止まらず地域経済は収縮衰退が共通現象として定着し、地方銀行は大都市を拠点の中心とするメガバンクとは別次元での構造的苦境に陥りました。すなわち地域生活者からの預金は集まる一方で、それを原資とした地域経済への貸出し需要が先細り、極度に預金量が融資量を上回る資金余剰が常態化することとなったのです。

本来地方銀行は、地域住民の預金を地域産業に回し、地産地消経済を担うことが本分でしたが、巨額の預金を持て余した地銀はどこも日本国債をせっせと買うこと以外に資金活用がおぼつかなく、預金余剰状態になすすべがなくなった状態というのが現状なのです。