安岡定子さん
撮影=大沢尚芳

リスク対策に「遠き慮り」は欠かせない

それから、次の章句を思い出したという方も、少なくありませんでした。「遠慮」の語源としても、よく知られている言葉です。

「人にして遠きおもんぱかりなければ、必ず近き憂いあり」。

遠い先まで見通す深い考えがなかったら、必ず足元から思いがけない災いが起こってしまうものだ、という意味です。

この章句を挙げた方々は、次のように考えたそうです。コロナ禍と同じようなリスクや災難は将来も起こることが予想されるので、そのときにあわてないようにしておきたい。今回の経験を教訓に、目に見えるもの、物質的なことだけでなく、心構えも含めて、次への備えをしておこう。まさに、「遠き慮り」=備えをしておけば、「近き憂い」=リスクや動揺は最小限に抑えられる、あるいは避けられるに違いない、というわけです。

「故きを温ねて……」の章句を挙げたのは、過去の人がどんなふうに乗り越えたか、そのことを主に考えた人たちです。「遠き慮り……」の章句を挙げたのは、今度こういうことが起こったらどう対処するのかを主に考えた人たちです。同じ『論語』を読み、同じような事態に直面しながら、思い浮かべる章句が違うのは、その人なりのよりどころが出来上がっていて、それに基づいて実践していることを物語っているのではないでしょうか。

「『論語』を読んで人間力を高めなさい」と言われても、『論語』を読むことが、いつどんなふうに役に立つのですか。こういう質問を受けることがあります。今回の出来事はその質問に対する答えにもなっているように思います。

そのような意味でも、この2つの章句が「苦境を乗り越える 勇気を与えてくれる『論語』の言葉」で取り上げたものと、重なっていたのは、単なる偶然ではないでしょう。

大事に遭遇したときに、その人の真価が現れる

この2つ以外で、思い出しましたという声が多かったのが、次の章句です。

「歳寒くして然る後に松柏のしぼむに後るるを知る」。

1年でいちばん寒い季節になり、そこで初めて松や柏(檜の一種)が落葉しないことに気づく。人も大事に遭遇して初めて、その人の本当の価値が現れる、という意味です。

この章句を挙げた経営者の方の声をまとめてみると、次のようなものでした。コロナ禍という想定外のことが起こってみると、本来の力がどれほどなのかわかりました。あるいは、日々目先のことに追われ、根本のことを見失っていた気がします。

私たちは、大事だとわかっていながら、それを先送りしたり、省いてしまうことがあります。災難やトラブルはないにこしたことはありませんが、全くないということはあり得ません。時にはこうして根本に立ち返り、反省し、自分を見つめなおすことも大切なのかもしれません。