女性を疲弊させる日常の罠

食洗機

たとえば「食器洗い機」(通称・食洗機)。夫婦での家事分担の話になると、女性側の意見として「私が食事を作っているのに、夫は食器洗いさえしてくれない」というようなことも聞きます。それはごもっともな意見ではあるのですが、よく考えてみれば「食器洗い」は機械に任せればすぐに解決できそうな問題です。

サンドラ・ヘフェリン『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)
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もちろん「夫婦や男女の家事分担」に関しては、根本的な問題の解決が望ましく、「機械には頼りたくない」という気持ちは分かります。しかしケンカが増えるぐらいなら、機械に頼るのは大いにアリだと思いますし、実際にヨーロッパでは食洗機が広く浸透しています。日本では、「お箸」が食洗機だと洗いにくいという問題は確かに残りますし、都心などでは住宅事情により、そもそも食洗機を置けるようなスペースがない場合もあります。

ただそういった事情を考慮するとしても、問題だと思うのは、日本には「食器洗いぐらい自分でやるべきだ」という雰囲気がまだまだ残っていること。そしてここで言う「自分」というのは「その家の女」を指しています。自分では食器洗いをしない夫が「食洗機などいらない。それは自分(妻)がやるべきだ」というようなことを堂々と言えてしまうのがニッポンなのです。現実的に家が狭いから食洗機が置けないということ以前に、当事者でない人からの「それぐらい、女がやるべき」という声が幅を利かせているという現状があるわけです。

ここが非常に厄介なのですが、「食器洗いは女がやるべきだ」と直球で言う人ばかりではありません。「機械よりも人間が手でやったほうが、やっぱり洗い残しが少ない」などというふうにオブラートに包んで……でも結局は女にやらせる、という「手法」がニッポンではよく使われます。気がつくと女性も「そうね、食器洗いぐらいは私がやらなくちゃ」と思い込んでしまいます。しかし、結局こういった細かい作業の積み重ねで、働く女性の疲労は増すばかりです。

なんだかんだ理由をつけて女性にやらせようとする現象

お茶出し

かつて保守的だったニッポンの企業も、最近は「お茶出しは各自で」というところが増えてきています。それこそ、ひと昔前まで存在していた「お客様には女性がお茶出しを」とか「男性社員の分のお茶は女性社員が出す」という「暗黙の了解」が崩れてきたのは良いことです。

そんな中でもたまに、びっくりするような発言に出合うことがあります。先日、ある女性と雑談をしていたところ、彼女は言いました。「男性って、トイレから出た後は、手を洗わない人が多いから、私はやっぱり女性が入れたお茶を飲みたいって思うなあ」と……。まあ一部の男性を観察していると、トイレの件は当てはまる人もいますが、この手の思考回路があるから男女平等はなかなか進まないのだな、なんて思ってしまいました。

この女性の言うことが仮に当たっていたとして、「男性が出すお茶は汚い」からと女性がお茶出しに精を出したところで、女性にとって「将来的に得なこと」なんて何一つありません。それどころか、大げさかもしれませんが、この手のことに真剣に取り組んでいては、男女平等からは遠ざかるばかりです。これ以上ランキングが下がってどうするというのでしょうか。

しかし、そのことには注目せず、先ほどの食器洗い機の件のように「なんだかんだ理由をつけて女性にやらせようとする」現象が今の日本にも確かに存在するのでした。残念なのが、決して自分のプラスにならないのに、女性もこの手の思考に巻き込まれがちであることです。