ドイツ出身で、日本で22年生活するサンドラ・ヘフェリンさんは、日本社会は女性がラクをすることに厳しく、子どもや男性がラクをすることが優先されると指摘。そんな社会で息切れしないために、できることとは――。

※本稿は、サンドラ・ヘフェリン『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

市内を歩くビジネスウーマン
※写真はイメージです(写真=iStock.com/monzenmachi)

女性をナメているニッポンの会社

直接仕事とは関係がないことをルール化して社員を縛り、体育会系の雰囲気を作り上げている会社が日本では少なくありません。ただ、都会の企業よりも田舎の中小企業のほうがそうした傾向が強く「ビックリ規則」も頻繁に見られます。この国では女性をターゲットにした理不尽なルールが溢れているので、油断できません。

地方のある中小企業では、「女性の一人暮らし」を許していないのだそうです。就業規則などに書いてあるものではありませんが、ワンマン社長の方針で暗黙のうちの了解なのだとか。その理由は、一人暮らしできるほどの給料を女性社員には払っていないため、夜に水商売などを始められて風紀が乱れると困るからなのだそう。ちょっとどこからツッコんでいいのか分からなくなってしまいました。令和の時代には、この手のワンマンオッサンにはどうか退いていただいたほうが、ニッポンの未来のためでしょう。

「これは法律に引っかかるだろう」という内容のものでも、ニッポンの中小企業ではその社独自のルールが蔓延していますから、雇われるほうは油断できません。ある会社では「体調不良や家庭の用事などで欠勤したら、その分他の日に出勤しなくてはいけない」というルールがあるのだそうです。

良かれと思った提案が、全員を苦しめる結果に

そこにかつて勤めていた女性に話を聞いてみると、これは社長が作ったルールではないのだとか。では、なぜこんなルールができたのかというと、何年か前にパートや派遣社員の数名がプライベートな理由で休暇をとるということが増えたため、それを申し訳なく思ったパートの一人が「水曜日に休む分、金曜日に出勤します」と申し出たのが発端でした。

パート仲間や派遣、さらには社員や会社の経営陣からも大変ありがたがられたため、そのまま次の人も「自らそういった申し出をする」という流れになってしまいました。それがいつの間にかルールとして定着してしまったのだと言います。「暗黙のルール」であるため、会社の就業規則や契約書には記載されていないとのことです。こう考えてみると、昔、誰かが良かれと思って提案したことが結果的に「全員やるべきこと」として慣習化してしまうこともニッポンの会社の特徴だと言えるでしょう。ある意味、忖度をし過ぎた結果です。

ちなみにドイツはじめ欧米の会社に「暗黙の何か」がないわけではありませんが、それはどちらかというと社員に有利な「何か」だったりします。たとえばクリスマス会や社員のお別れ会を開く際は、午後3時など就業時間内にするといった感じです。

ところが、これがニッポンだと、雇われている側に「奴隷気質」が根づいているのか、「会社のためなら私はこれぐらい犠牲にしても大丈夫」というような提案を会社にしてしまう傾向があります。結果として「全員が大変になる」という悪循環が出来上がってしまうわけです。それにしても、本来は気楽な雇用形態を選んだはずの「パートのおばさん」でさえも、「休んだら他の日に出勤してカバーするのは当たり前」と思い込んでいるのって、国際基準で言うとスゴい話です。どんだけ責任感強いんですか!(中略)

「女性がラクすること」に厳しい社会

毎年暮れが近づくと発表される「世界の男女平等ランキング」。19年、ドイツは153カ国中の10位でした。一方のニッポンは121位。お尻から数えたほうが早い結果となってしまいました。この順位は日本として過去最低であり、今回ももちろんG7の中でダントツ最下位です。(中略)

政治家や企業経営者に女性が極端に少ないのは相変わらずです。こういった場で女性が少ない背景に、日本のビジネスや政界が男社会だということがあげられます。具体的な改善策は専門家の方に任せるとして、日本で生活をしていると感じることが一つあります。それは、他の先進国と比べて、ニッポンの社会は「女性がラクをすることに厳しい」ということです。

ニッポンでは「女性がラクになること」よりも「子どもがラクになること」「男性がラクになること」が優先されています。「前例を大事にする」というのも結局は、昔は今よりもさらに男尊女卑なわけですから「女性の要望を大事にしない」と同じことです。

日本で女性として生きていると、気がつけば「雑用を全部やらされていた」という場面がよくあります。ニッポンの社会というものは、会社でも家庭でも学校でも、とにかく女性に雑用をやらせたがるのです。

しかし、人間の時間とエネルギーは限られています。女性が社会のプレッシャーに負け、雑用ばかりに時間をとられ、実際はラクできることでも頑張ってしまえば、もともと自分がやりたかったことはできません。なぜならば、自分の将来のためにならないものにエネルギーを割いてしまい、大事な場面で「息切れ状態」になってしまうからです。

ここでは、ニッポン女性を取り巻く雑用の具体例に触れてみましょう。昔から女性に課せられていることを「しない」選択をした場合、周囲からの「雑音」がひどいのもニッポンの特徴です。それも併せて以下をご一読ください。

女性を疲弊させる日常の罠

食洗機

たとえば「食器洗い機」(通称・食洗機)。夫婦での家事分担の話になると、女性側の意見として「私が食事を作っているのに、夫は食器洗いさえしてくれない」というようなことも聞きます。それはごもっともな意見ではあるのですが、よく考えてみれば「食器洗い」は機械に任せればすぐに解決できそうな問題です。

サンドラ・ヘフェリン『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)
サンドラ・ヘフェリン『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)

もちろん「夫婦や男女の家事分担」に関しては、根本的な問題の解決が望ましく、「機械には頼りたくない」という気持ちは分かります。しかしケンカが増えるぐらいなら、機械に頼るのは大いにアリだと思いますし、実際にヨーロッパでは食洗機が広く浸透しています。日本では、「お箸」が食洗機だと洗いにくいという問題は確かに残りますし、都心などでは住宅事情により、そもそも食洗機を置けるようなスペースがない場合もあります。

ただそういった事情を考慮するとしても、問題だと思うのは、日本には「食器洗いぐらい自分でやるべきだ」という雰囲気がまだまだ残っていること。そしてここで言う「自分」というのは「その家の女」を指しています。自分では食器洗いをしない夫が「食洗機などいらない。それは自分(妻)がやるべきだ」というようなことを堂々と言えてしまうのがニッポンなのです。現実的に家が狭いから食洗機が置けないということ以前に、当事者でない人からの「それぐらい、女がやるべき」という声が幅を利かせているという現状があるわけです。

ここが非常に厄介なのですが、「食器洗いは女がやるべきだ」と直球で言う人ばかりではありません。「機械よりも人間が手でやったほうが、やっぱり洗い残しが少ない」などというふうにオブラートに包んで……でも結局は女にやらせる、という「手法」がニッポンではよく使われます。気がつくと女性も「そうね、食器洗いぐらいは私がやらなくちゃ」と思い込んでしまいます。しかし、結局こういった細かい作業の積み重ねで、働く女性の疲労は増すばかりです。

なんだかんだ理由をつけて女性にやらせようとする現象

お茶出し

かつて保守的だったニッポンの企業も、最近は「お茶出しは各自で」というところが増えてきています。それこそ、ひと昔前まで存在していた「お客様には女性がお茶出しを」とか「男性社員の分のお茶は女性社員が出す」という「暗黙の了解」が崩れてきたのは良いことです。

そんな中でもたまに、びっくりするような発言に出合うことがあります。先日、ある女性と雑談をしていたところ、彼女は言いました。「男性って、トイレから出た後は、手を洗わない人が多いから、私はやっぱり女性が入れたお茶を飲みたいって思うなあ」と……。まあ一部の男性を観察していると、トイレの件は当てはまる人もいますが、この手の思考回路があるから男女平等はなかなか進まないのだな、なんて思ってしまいました。

この女性の言うことが仮に当たっていたとして、「男性が出すお茶は汚い」からと女性がお茶出しに精を出したところで、女性にとって「将来的に得なこと」なんて何一つありません。それどころか、大げさかもしれませんが、この手のことに真剣に取り組んでいては、男女平等からは遠ざかるばかりです。これ以上ランキングが下がってどうするというのでしょうか。

しかし、そのことには注目せず、先ほどの食器洗い機の件のように「なんだかんだ理由をつけて女性にやらせようとする」現象が今の日本にも確かに存在するのでした。残念なのが、決して自分のプラスにならないのに、女性もこの手の思考に巻き込まれがちであることです。

家事代行サービスが普及しない理由

働く女性の家事負担を減らそうと、家事代行サービスをやってくれる外国人に日本にきてもらう計画があるものの、実際のところ、欧米の国々と比べると、日本ではこの家事代行サービスを利用する人は思いのほか少ないです。

ヨーロッパの中流家庭では、週に何回か数時間に分けて掃除のために家政婦さんに来てもらう「掃除代行」サービスをしばしば利用しています。たとえば毎週月・金に3時間ずつ掃除しに来てもらう、というような形です。もちろん欧米と日本の文化の違いも影響しているでしょう。家事の負担が軽減されると分かっても、日本には「知らない他人を自宅に上げる」ことを躊躇する感覚があります。

そして、これはまた前述の食器洗い機にも通ずることなのですが、「家のことぐらい自分でやろうよ」という考えがここでもまた幅を利かせているのでした。しつこいようですが、ここでいう「自分」とは結局は「妻や女性」です。

ドイツやスカンジナビアなどのヨーロッパ諸国では、今の時代「男性も女性も家事をやる」ため、「互いの負担の軽減のために家事代行を頼む」ことが少なくありません。しかしニッポンでは、どこか家事が「女性担当」という認識があるため、「家事代行」→「女性がラクしたいだけ」→「女性がラクするのはけしからん」という思考が世間でしばしば見られるのでした。

日本では「他人を家に上げる」ことに抵抗のある人が多い上、芸能人の神田うのさんの「家政婦さんに高級ブランドのバッグや貴金属を盗まれた」事件などが大きく報道されたため、「他人を家に入れるのは怖い」というイメージに拍車がかかってしまっています。しかし、口コミで信頼できると評価された人に家事代行を頼めば、このようなトラブルはむしろまれです。

ドイツではよく知り合い同士で、「良いPutzfrau(掃除の人)知らない?」と声をかけて情報交換をし、互いに代行の人を紹介しあったりしています。ここで言う「良い掃除の人」というのは掃除や家事のスキルが高いということに加え、「盗みをしない信頼できる人柄」という意味もあります。

「他人を家に入れるなんて怖い」という感覚も、多くの人が代行サービスを利用すれば、知り合いからの紹介も増え安心できますし、「外部に頼んでいる」という後ろめたさみたいなものもなくなること請け合いです。