検査拒否の罰則強化は感染拡大を招く
感染の不安なく、誰もが安心して暮らせる時はやって来るのでしょうか。
特効薬もワクチンも存在しない今、国民の不安を払拭して経済活動を回すためには「国民全員にPCR検査を実施し、陽性者を徹底的に洗い出して隔離することで、陰性者だけで安心して経済活動できるようすべき」という声が上がっています。
検査体制の充実と重症者に限定しない検査対象者の拡大は当然のことながら喫緊ですが、この国民全員検査によって安心を得て経済を回そうという案は、残念ながら「机上の空論」であると言わざるを得ません。拙著にも書きましたが、いかなる検査をもってしても「感染していないこと」を証明することは不可能だからです。カミュの「ペスト」の時代から21世紀の現在に至ってもなお、これだけは変わることのない厳然たる事実です。
いつどこでどのタイミングで感染するのかは誰にも分からないのですから、検査を行った昨日の時点では陰性であったとしても、今日は陽性ということが起こり得ます。つまり安心のために検査するというなら、国民全員に毎日、しかもその全員を移動させないように厳重管理した上で全国同時いっせいに行わないと意味がありません。現実的に考えてそんなことは不可能です。
また、検査を受けない人が一人でも出れば、この「国家的事業」は台無しになってしまいますから、検査を強制的に受けさせるためのなんらかの罰則付き法的拘束力も必要となります。しかし、そうなればもはや恐怖政治です。
「まさかそんな恐ろしいことなんかあり得ない」と思われるかもしれませんが、現在、国はコロナ関連法の一括改正を検討しており、休業や検疫の要請拒否に対して罰則を設ける案も出ています。これは非常に危険です。こんなことをすれば、感染者を犯罪者扱いする風潮を加速しかねず、それに伴って症状を隠す人が増え、逆効果にさえなるでしょう。
陽性者の隔離には人権や生活補償の問題も関わってきます。仮に補償なしの隔離となれば、症状があっても検査を拒否する人も当然ながら出てくるでしょう。しかし、そういった人を犯罪者扱いして責めることなどできるでしょうか。
新型コロナウイルス感染症は誰もがかかる可能性があり、明日は我が身です。感染対策については、もし自分が感染したらどうしたいか、どうしてほしいか、どうされたくないか、といった想像力をつねに働かせながら議論するべきだと思います。
「人の目」ばかり気にした対策になっていないか
この感染症に対してはいまだワクチンも治療薬もなく、とれる手立ては決して多くありません。罰則強化や徹底隔離という発想に陥ってしまうのは、それぐらいしかできることがないからだとも考えられます。
もちろん無症状の人が感染源になっている可能性もあるでしょう。しかしそうであっても、決して不要な隔離をすることなく、努めて抑制的であるべきです。感染者の人権についてはつねに最大限の配慮を怠らないこと。それは過去に私たちが大きな過ちを犯してしまったハンセン病隔離政策の反省です。
そして隔離を余儀なくされた人に対しては、所得補償は当然のこと、職場で不利な扱いを受けることが絶対にないよう、それこそ法的な保護が担保される必要があります。
感染の可能性がある人を犯罪者のように取り締まる施策は、その人に恐怖やプレッシャーを与え、その上さらに生活も保障されないとなれば、その人たちは不安から水面下に潜ってしまうかもしれないのです。そうなってしまっては元も子もありません。
マスク警察にも、陰性証明検査にも、感染者を責める言葉にも、医学的エビデンスは一切存在しません。これらはすべて「人の目」に対する恐怖と同調圧力、そして他者に対する不寛容の心がもたらしているものです。
自分の行動は本当に感染対策になっているのか。人の目を気にして、実践しやすいことだけを“中途半端にやり過ぎ”てはいないか。「周りの人がやっているから、よくわからないけど自分も」という思考停止に陥っていないか。苦しんでいる人を傷つけてしまってはいないか……。つねに自問自答し見直していくことが大切です。皆さんには、ぜひそうした姿勢で対策に取り組んでいただけたらと思います。
構成=辻村洋子 写真=iStock.com
木村 知(きむら・とも)
医師
1968年生まれ。医師。10年間、外科医として大学病院などに勤務した後、現在は在宅医療を中心に、多くの患者さんの診療、看取りを行っている。加えて臨床研修医指導にも従事し、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。2024年3月8日、角川新書より最新刊『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』発刊。医学博士、臨床研修指導医、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。