コロナ対策のためにしている行動が、実は逆の結果を招くものだったら──。医師の木村知先生は「感染者差別につながる対策は危険」と警鐘を鳴らします。マスク警察からコロナ関連法まで、感染者数が増加する今、第2波に向けて注意したいさまざまな行動に潜む勘違いを教えてもらいました。
夏にマスクを着用した若いアジアの女性
※写真はイメージです(写真=iStock.com/itakayuki)

人目を気にしてのマスク着用に疑問

新型コロナウイルスの収束が見えない中、感染対策の面でもさまざまな問題が起きています。例えば、対策の一環として推奨されているマスクの着用、この遵守に律儀になりすぎるあまり、どんな場面でも着けていなければいけないと考えている人が少なくないように思います。

確かに、密閉・密集・密接のいずれかが該当するような場面ではマスクが必要です。しかし、人との距離が十分にとれている屋外空間で、黙々と歩くような場合には必須とは思えません。例えばこれからの暑い時期、我慢して外さずにいると熱中症や心肺機能への負担など、特に高齢者や基礎疾患のある人には命の危険すらあります。

なぜ、不要な場面でもマスクを着けようとするのでしょうか。しっかり感染対策をしたいからだとすれば、そもそも人の多い場所へは行かない、満員電車には乗らないなど、感染リスクを高める行動を自ら制限するはずです。

そこについてはそれほど気にせず神経質に制限しているわけではないけれど、マスク着用だけは絶対に守る──。こうした矛盾した行動の根本には「皆が着けているから」「人の目が怖いから」という思いがあるからではないでしょうか。マスクを着けていない人を声高に非難する「マスク警察」なる人もいると聞けば、なおさら怖くなってしまうことでしょう。

何も対策していないと見なされるのが嫌で、もっとも目に見えやすいマスク着用だけをことさら実践する。中には“鼻出しマスク”や“顎マスク”といったように、マスクを顔に着けていることだけをアピールしているような人さえ見かけます。これでは、せっかくのマスクも感染を防ぐものではなく、“やっている感”を演出するためのただの小道具にしか見えません。