男は競争を好み、女は競争を避ける?
あるひとは競争が大好きで、寝る間も惜しんで働くのを生きがいにしている。別のひとは競争に興味がなく、趣味に没頭したり、家族と過ごす時間の方がずっと大切だ。その結果、この2人の収入に差がついたとしても、誰もこれを「差別」とは思わないだろう。
やっかいなのは、さまざまな調査で、「男は競争を好み、女は競争を避ける」という結果が出ていることだ。だとすれば、男女の「格差」は本人の自由な選択の結果ということになる。すなわち、なんの問題もないのだ。
どちらが正しいかはいまだ論争が続いているが、ここでは2012年に発表された研究を紹介しよう。
実験では男女の被験者が2人ずつ、計4人の組になってひとつの実験室で数学ゲームの問題を解いた。
図表1‐Aは、時間制限のある状況で、正解数に応じて報酬が支払われた場合の成績分布だ。プレッシャーはかかるものの、被験者は相手のことを気にせず問題に集中すればいい(競争のない条件)。
高得点者には男性が多いが、平均点は男が5.17、女が5.11で統計的に有意な差はなかった。
図表1‐Bは、同じ数学ゲームを、もっとも正解数の多い者が報酬を総取りするトーナント方式に変えたものだ(競争のある条件)。
驚くべきことに、こちらの平均は男が6.31、女が2.39と大きく異なる。ゲームに競争を導入したことで、男の点数は上がり、女の点数は逆に大きく下がったのだ。同様の結果は、日本を含む先進国で繰り返し確認されている。
これは進化論的には、次のように説明できる。
ヒトの脳のOSが設計された旧石器時代には、男は「狩猟者」で、仲間と競争しながら素早い判断で獲物を仕留めるように進化した。それに対して女は「採集者」で、仲間と協力しながら、食用になる植物を慎重に選ぶよう進化した。
これはかなり説得力のある仮説で、多くのひとが同意するだろう。するとここから、「ステレオタイプの内面化」という現象が起こる。
この実験では、男性ペアと女性ペアに同じ部屋で問題を解かせた。この状況では、被験者はごく自然に自分の性別を意識するだろう。すると無意識のうちに、「自分は男だから競争なら有利だ」とか、「わたしは女で数学が苦手だ」と考え、それが結果に反映してしまうのだ。──ステレオタイプの負の効果は、白人と黒人の生徒をひとつのクラスに集めて問題を解かせる実験で、「黒人」であると意識させただけで成績が下がることでも示されている。
数学ゲームが終わると、コンピュータ画面に自分の点数が表示されるが、他の3人の得点や順位はわからない。それにもかかわらず被験者に、「次は出来高払いとトーナメント方式のいずれかを選べます。どうしますか?」と訊くと、男の44%が競争を選んだのに対し、女はわずか19%だった。女は競争を避けるのだ。
この結果に対しては、母系制の伝統的社会では女が競争を好み、男が競争を嫌うという反論もあって、すべてが生得的なものだということはできない。しかしそれでも(ステレオタイプをなくしていくのは大事だとしても)、「本人が嫌がることを無理にやらせるのはおかしい」との主張を否定するのは難しいだろう。
しかし、話はここから面白くなる。