貯金が尽きそうになったとき、夫が放った言葉
とはいえ、化粧品を一から開発するのにはお金も時間もかかる。研究や開発に対する投資ばかりで回収に時間がかかり、初めの1年で貯金はみるみる減っていき、先行きに恐怖すら感じるようになった。
ある時、夫のいる前で、「(貯金が減ってしまって)なんだか怖くなってきた」という不安を漏らしたことがある。
すると、夫はこう言った。
「ちょっと小遣いを稼ぐ、金遣いの荒い専業主婦だと思えばいい。持っている貯金を使っているだけだから、マイナスになるわけじゃない。底が突いたら、また働けばいいんだよ」
その一言に、山口さんの中でカチッと何かが定まった気がした。ここで彼女の肚は据わり、このまま進んでいこうと決意した。
超マニアックな商品がヒット
事業が軌道に乗ったのは2年目を迎えたころだ。自社製品の開発と同時に、いろんな人から「通販向けの商品開発を手伝ってほしい」と声がかかるようになり、いつしか開発コンサルの仕事がメインになってきた。
これではいけないと思っていた矢先、予備校時代の先輩とたまたま再会。職探しをしていた彼女が、かつて予備校のHPを作っていたことを思い出し、そのままスカウトした。社員第1号だ。そこからは目が回るほど忙しくなった。
美白洗顔の製品がヒットし、起業後5年で従業員が40人に増え、拡大のたびにオフィスも移転した。
「うちの商品は処方がマニアックなんですよ」と、山口さんはチャーミングにほほ笑む。
こだわりの商品を作ることができるのは、理系かつ営業のトップを歩いた山口さんだからこそだ。OEM工場の担当者が「やったことがないからこんな商品は作れない」と言ったとしても、「そんな答えはいらない。どうやったらできるのか考えましょう」と切り出すのだという。
部下に一切指示を出さない社長
憧れだった「会社づくり」にも余念がない。
会社では完全フレックスタイム制を導入し、社員が自分自身でスケジュールを立てられるようにした。育児中の人だけでなく、介護中の人などでも柔軟に対応できるように考慮したものだ。「私は一切指示しません。社員には結果だけを報告してもらうようにしています」と山口さんは言う。
また、採用の基準は、仕事の能力だけではないという。ライフイベントが重なる同年代が固まらないよう、採用の年齢や生活スタイルを分散させた。採用の時点から社内のダイバーシティを考えているのだ。
社員は40名まで会社を成長させた山口さん。「社員の上限は50人として、規模は中小でも大企業並みの高給取りにしたいと思っています」と明言する。
理想の会社を作るという情熱で、起業という壁を乗り越えた山口さん。彼女のノートは、まだまだ書き足りないことでいっぱいだ。
文=藍羽 笑生
1979年、大分県生まれ。熊本大学理学部卒業後、高校で理科を教える。予備校でも教壇に立ったあと、通販会社や化粧品メーカーを経て2014年起業。