男職場に嫌気がさして転職したら、女社会で揉まれる

そうした環境に嫌気が差し、今度は女性が多い化粧品メーカーに転職した。しかし、ここでは女性同士での仲たがいが生じていた。

エムズサイエンス 山口真社長
(写真提供=本人)

子どもが小さくて働きたくても働けない女性がいると、働ける女性に仕事が回ってくる。経営者はなぜか女性の仕事は「女性同士でフォローするのが当たり前」というスタンスを崩さなかった。月150時間の残業が続き、過重労働で声を上げたこともあったが、「なぜ働けない人のためのフォローができないのか」と責め立てられた。

従業員のままではこの環境は変わらない。では、いっそ管理職になればいいのかと奮起して、さらに転職。転職先は化粧品のOEMメーカーで、企画営業の職に就き、女性初の営業部長にまで昇進した。営業部のトップになり、社長に進言できる立ち位置になったことで、環境が変えられるのではないかと期待した。

管理職になれば職場環境を変えられると思ったのに

しかし、会社には「会社の歴史」があり、新参者には限界があった。ある日、大量の発注があり、工場に「もっと生産するために工場を動かしてほしい」とお願いに行くことになった。土日に工場を動かしてくれたり、業務効率化して対応してくれたりすれば、売り上げは上がるのだから、会社全体から見れば工場を動かすことが正しい選択になるはずだ。

しかし、工場の従業員の立場から見ると、そうとも言えなくなる。忙しくなる半面、手当てもつかないのだから、わざわざ工場を動かしたいと思わないのだ。工場長からは、「その仕事は断る。私たちには奥さんも子どももいる。仕事ばかりに人生かけてられないんだよ」と言い返された。その通りだと思った。

この会社でやれることは全部やったが、前提条件、つまり「会社の歴史」がボトルネックになり、ゼロベースで立て直すことができないと思い知らされた。つまり、状況を払しょくするには評価制度を変えないといけないが、そのためには労務規律ごと変える必要がある。しかし、それはその会社の歴史そのものの「否定」だ。「会社がよほど傾くような状態でないと、とても変えられない」と山口さんは痛感した。

自分で会社をゼロから立ち上げよう

そこで、山口さんは思った。「変えられないなら自分でゼロから会社を興したほうがいいんじゃないか」と。

起きている時間の50%は仕事の時間だと仮定すると、人生の3分の1は仕事の時間ということになる。そう考えると、いてもたってもいられなかった。短時間で効率的な働き方ができる会社を作りたい――正直、起業できるならどんな会社でもよかった。そこで、知見のあった化粧品開発で会社を興すことに決めた。35歳のことだった。