この流れを好機ととらえていた女性解放運動家たち

実は大日本婦人会の女性たちは、この流れを歓迎していました。正確に言うと、一部の女性解放運動家たちは、勤労動員の流れのほうを歓迎していたのです。なぜなら、この頃、メンバーの多くは女性の社会進出と役割意識に目覚め始めていたからです。ならば、もう内助の功よりも、社会的地位を高めたい、男性と同等に働ける自分たちを認めさせたい、という気持ちになるのは、ある意味自然な流れです。そこで彼女たちの多くは、この流れにのり、そこから女性の工場労働者や銀行員、バスの運転手、鉄道車掌などが数多く生まれました。そう、終戦間近のこの時期、日本経済は間違いなく女性たちの銃後の守りによって支えられていたのです(※既婚女性は既婚女性で、家庭を守り人口戦を戦うという、別の意味での銃後の守りをしていました)。

残念ながら、彼女たちの多くは、戦後男性たちの復員で家庭に戻されてしまいますが、銃後の守りは無駄ではありませんでした。戦時中の女性労働は高く評価され、労働に男女の能力差がないことを、広く世に知らしめたのです。その結果、1947年に制定された労働基準法で、日本の女性は世界で初めて「男女同一賃金」を法的に勝ち取ったのです。

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蔭山 克秀(かげやま・かつひで)
代々木ゼミナール公民科講師

「現代社会」「政治・経済」「倫理」を指導。3科目のすべての授業が「代ゼミサテライン(衛星放送授業)」として全国に配信。日常生活にまで落とし込んだ解説のおもしろさで人気。『経済学の名著50冊が1冊でざっと学べる』(KADOKAWA)など著書多数。