なぜ東大生は「勉強しろ」と言われて育った子が少ないか
そして半分間違いというのは、親の子に接する態度や言葉がけによって子の学習意欲や進学意欲は大きく変わるものであり、親の所得そのものは直接関係ない部分もあるからです。
高学歴になる子の家庭では、たとえば親はテレビではなく読書など勉強する姿を見せることがあります。子に親の価値観や理不尽なルールを押し付けたりせず、自主性を重んじます。子の挑戦をたたえ、失敗を許容します。
そういう親の態度に毎日毎日、何年間も接して育てば、子どもも親と同じような思考パターンや行動パターンを受け継いでいきます。そして適切な自己肯定感が育ち、「自分は大丈夫」「やればできる」という自尊心や「もっと知りたい」という知的好奇心が養われます。
そのため、「勉強しろ」などと直接言わなくても、日々の会話の中から、親の論理的な考え方や勉強することの大切さが子に伝わっているのです。
だからなのか、東大に合格した学生のほとんどは、子どものころから一度も親に「勉強しろ」などと言われたことがないそうです。
そしてこれは親の所得に関係なくできることであり、半分間違いとはそういう意味なのです(しかし悲しいかな、低所得の親に限って反対のことをするのです)。
想像以上に大事な基礎学力
とはいえ、多くの親の悩みは「子どもが勉強しない」ことではないでしょうか。
もちろん人生は学歴や勉強だけではありません。むしろ幼少期こそたくさんのリアルな経験、自然との触れ合いが必要で、それが子の感受性を豊かにしてくれ、「あと伸び」する土台を作ります。
それはそれとして重要なのですが、特に義務教育段階での基礎学力は、その後に身につける知識や教養の土台になりますから、やはりおろそかにはできません。
正確な日本語運用能力や、算数・数学などの計数能力なくしては、高い知性・知能の獲得はできないのです(例外的な人は存在しますが、一般的にという意味で)。
そして多くの親が言われたことがあるかもしれませんが、子から「こんな勉強したって実際の生活では使えない」「こんな勉強、いったい何の役に立つの?」という疑問(というか言い訳)を言ってきたら?
そこで私が考える反論(勉強が大切な理由)をご紹介します。