なぜ勉強する必要があるのか
ひとつは、勉強の中身そのものが役に立つというよりも、勉強する過程で脳が鍛えられ、そうやって形成した強靭な頭脳が土台となって役に立つのです。
たとえばどんなスポーツでも、必ず走る練習をします。卓球のような走らないスポーツでも、弓道のような上半身しか使わないように見えるスポーツも、必ず走る練習が組み込まれます。
それは、足腰の強さはすべての運動能力の土台だからです。持久力、瞬発力、バネ、安定性、バランス、姿勢の制御を高い次元で獲得するには、強靭な足腰が必要です。
ラケットを振る練習だけ、弓を引く練習だけしても強くはならない。強くなるには、一見意味がないとか役に立たないと思える「走り込む」練習をしないといけない。
勉強もそれに似ていて、論理的な思考力や問題解決の筋道の立て方、知識の応用方法を、勉強を通じて身につけていくわけです。
たとえば数学の証明問題も、国語の要約問題も、様々な角度から脳を刺激することで具体と抽象の往復運動をし、視野を拡大させているのです。
暗記もしかりで、子供はまだ脳が成長している時期です。だから幼少期の暗記は、インプットを増やして脳を刺激し、脳のキャパシティを広げる訓練になっています。
学校を卒業したあとの長い長い人生の中で、必要な知識やスキルをその都度習得して活かし、それまで学んだことを組み合わせて応用し、深く緻密に思考できる高性能な脳をつくることに役立っているのです。
だからもし今、無意味だからと勉強しなければ、学校を卒業してもスカスカの頭脳のまま。土台がなければその上には何も作れないし応用が利かない。人生で直面する様々な障壁や課題を乗り越えられない。これでは幸せになれないでしょう。
むろん、学生時代は勉強をまったくしなかった、あるいは不出来だった人が後年成功するという例はありますが、それこそ例外です。いま成功している人のほとんどは高学歴なのです。
自由になるために勉強する
勉強する目的のもうひとつとして、「自由の獲得」が挙げられます。
勉強しなければ、たとえば職業の選択肢が狭まります。もちろん仕事の成果は学業や学歴だけではありませんが、勉強しなければ「受かったところに行く」しかありません。
しかし勉強していれば、頭脳労働の仕事も肉体労働の仕事も、どちらも選べます。就職や転職でも複数の企業から内定をもらえれば、好きな会社を選べます。
仕事を選べる、生き方を選べるという自由。これは個人の幸福に寄与するはずです。
さらに、十分以上のお金を稼ぐこともできます。
勉強して高い知能を獲得しておけばいくらでも応用が利きますから、様々なビジネスモデルを考え出すことも可能です。
先ほど「様々な角度から脳を刺激することで、具体と抽象の往復運動をする」と述べましたが、たとえば知識・情報・経験を組み合わせて成功法則を導き出せるのは、抽象化能力の高さがあってこそです。
「任せるから好きにやって」への対応でわかる非凡度
また、そこから実行に移すには徹底的な具体化能力が求められます。ビジネスモデルは抽象的なものですが、実行計画は具体そのものです。
起業家や経営者はグランドデザイン(戦略)を描き、それを実務に落とし込む。そしてそれらを実践するのが従業員であるように、成功者は具体と抽象を往復する能力が高く、凡人のほとんどは具体の世界でしか生きていない。
凡人は具体的な指示を与えられないと動けないため、たとえば「これ任せるから好きにやって」と言われたら混乱しますが、成功する人は嬉々として取り組むものです。
そして勉強(特に国語と算数・数学)は具体と抽象の往復訓練であることが多く、つまり勉強することは個人を強化し、自由を手にする力を与えてくれるのです。