「女性議員10%」が持つ意味

現在、日本の衆議院議員に占める女性の割合は約10%です。10人のうち1人しか女性がいないという、この数字の意味を考えなくてはなりません。

女性と一言に言っても、シングル、母親、高齢者など立場はさまざまですし、職業や住む地域、考え方や理念も多様です。たった10%で、多様な女性のニーズを代表することができるのでしょうか?

それに、政治は特に、数と組織がモノを言う世界です。男女関係なく、少数派は妥協を求められてしまいます。例えば地方議会では、議員の数が十数人から数十人といったところですが、女性議員がゼロという市町村議会もたくさんあります。議員数が20人で女性が2人だとすると、この2人が同じ考え方を持っていて共闘できるとは限りません。意見が合わず共闘できなければ、ますます彼女たちの意見は議会で反映されません。

結局、女性はあまりにも少数派なので、どうしても多数派である男性の文化に合わせざるを得なくなってしまいます。「議会に女性議員がいても、まったく変化がない。何の意味もないじゃないか」と言って責める人がいますが、それはお門違い。10%しかいないからこその結果なのです。これがもし、女性が30%に達していて、それでも成果が挙がらないならば批判してもいいかもしれませんが、10%しかいないと、政治の世界では自分がやりたいことがなかなかできないのです。

「おじいさまたち」が無視できないほど数を増やす

女性議員が、自分のやりたいことができる環境を作らなくてはなりません。そのためには、数を増やし、声を大きくして、声が議会の「おじいさまたち」に届くようにする必要があります。

まずは、複数で議会を目指すのがよいと思います。女性が1人だけで当選しても、なかなか意思決定に届くほどの声の大きさになりません。2、3人で協力して、一緒に議会を目指すのです。

前回の統一地方選挙では、各地で「女性議員を誕生させる会」ができて、女性議員を議会に送り込んでいます。こうした支援が選挙の後も続き、政治家として活動する中で多数派にのまれてしまわないよう、支えていくことも必要だと思います。

最低でも30%を。100%を目指したっていい

1995年に国連の第4回世界女性会議で採択された「行動綱領」には、意思決定の場における女性比率を30%にすることを目指すと明記され、「最低限30%は必要だ」という認識が広がりました。社会に変化をもたらす上での臨界点、「クリティカルマス」が30%であるということです。私自身も、30%に達すれば確実に変化が起きると思っています。

この会議を機に、目標とする女性比率を法律に明記する国が増えました。ただ、30%を目標にしてはいけません。人口の男女比は5:5なのですから、50%にすべきなんです。私は、60%を目指してもいいと思っています。実際、60%を達成している国もあります。今まで少数派だったからといって、遠慮して小さくなる必要はありません。何なら100%でもいいじゃないですか、男性はずっと100%に近かったんですし(笑)。

あくまでも30%は最低限必要というレベルです。民主主義国家が目指す姿としては、40%~60%程度でようやく「男女の平等が達成された」と言える水準になると思います。

構成=大井明子

申 琪榮(しん・きよん)
お茶の水女子大学 ジェンダー研究所 教授

米国ワシントン大学政治学科で博士号を取得し、ジェンダーと政治、女性運動、ジェンダー政策などを研究。学術誌『ジェンダー研究』編集長。共著『ジェンダー・クオータ:世界の女性議員はなぜ増えたのか』(明石書店)など。女性議員を養成する「パリテ・アカデミー」共同代表。