世界の流れから取り残された日本
ただ、歴史をさかのぼると、日本は政治分野でトップレベルだったこともあるのです。
1946年、戦後初めて行われた衆議院選挙では、39人の女性議員が誕生しています。またそれ以降、1980年代ごろまでは、他国もそれほど政治の女性参加は進んでいなかったので、日本の状況はそれほど目立ちませんでした。
1989年の衆議院選挙では、日本初の女性党首、土井たか子さん率いる日本社会党(当時)が女性候補を大量に擁立して「マドンナ旋風」を起こしました。この時には、「日本初の女性首相が生まれるかもしれない」という雰囲気さえありました。
当時は、他国に比べて日本が遅れている感じはまったくなかったのです。
ところが1990年代、他の国では、一定の割合の議席を女性に割り当てる「クオータ制」の導入など、さまざまな施策を打ち出して女性の政治参加に力を入れ始めました。一方日本では、政治の男女格差よりも、DV(ドメスティックバイオレンス)やパート労働など、社会や経済分野の喫緊の問題に力を入れていて、政治の女性進出は停滞。世界と日本の差が開き始め、そのまま20年以上が過ぎました。日本は、あまりにも世界の流れからズレてしまったのです。
競争、危機、外圧が女性政治家を増やす
ただ、日本に限らず、どの国も政治は男性中心になりがちです。それが、どうすれば「女性を増やそう」という方向に変わり得るのか。過去を振り返ってみると、女性議員が増えた事例の共通点は3つあります。
1点目は、「競争がある」ことです。政党間の競争が激しくなると、新しい有権者層を開拓したり、新しい政策をアピールしたりして、他党との差別化を図ろうとします。従来の男性中心の顔ぶれや政策だと差が付きません。このため、斬新さを打ち出し、女性有権者に訴えかけるために、女性候補者を増やしたり、党首を女性にしたりするのです。
ドイツもまさにそうで、1980年代に「緑の党」という環境政党が、新しい政治を掲げ、女性やマイノリティーを前面に押し出した政策を打ち出しました。すると相対的に、他の男性ばかりの政党が古臭く見えてしまいます。そのため、女性やマイノリティーを登用する動きが他の政党にも浸透しました。
2点目は、「大きな危機が起きる」ことです。政権が大きな失敗をしてしまった場合、信頼を回復するために新しい顔ぶれが求められ、女性が起用されることがあります。新しく生まれ変わったことをアピールしやすいからです。
ここまでの2点は、政党が内部から「女性を登用しよう」という変化を起こすきっかけです。
3点目は、政党の外からの力です。当事者の女性の声が大きくなった場合です。女性が自分たちのニーズを集結し、それが一定の大きさの声になれば、政党側も聞かざるを得なくなります。
競争も大きな危機もなく、20年間置いてきぼりに
ただ、残念ながら日本は、少なくとも最初の2点については、なかなか難しそうです。
最近の自民党は、「1強」と呼ばれている通り、競争も大きな危機もありません。2009年に自民党が選挙に負けて、民主党(当時)が政権を取ったことがありますが、すぐに失敗して奪還され、以降は競争がほとんどない状態が続いています。選挙にも勝ち続けていますから、全く変化させるインセンティブが生まれません。これも、日本が20年間、世界の流れから置いてきぼりにされていた理由の一つです。
そして3点目についても、悲しいことに女性有権者たちからの自分たちのニーズを代弁してくれる女性の政治家が必要だという声は大きくありません。