子どもたちの世話をするのは、かをりちゃんのためじゃないわよ、あなたの社員のためよ
寝たきりになってもう8年。82歳のときに脳出血で倒れて病院へ。その後、ほとんどずっと介護施設にお世話になっています。もうすぐ90歳。だんだん目を覚ましている時間も短くなりました。あとどれだけ一緒にいられるかわかりません。言葉を発せない母を見ていると、今さらながらもっとたくさんのことを母に聞いておけばよかったと思います。
母は1929(昭和4)年、5人きょうだいの長女として横浜で生まれました。母の父、私の祖父は外国船の船長をしていて、航海に出る度に海外の珍しいお土産をたくさん買ってきてくれるのだけど、昭和初期、赤い靴やカラフルなワンピースをそのまま着ると目立ちすぎるので、泥で汚してから着ていたとか。勉強もよくできて、学校ではいつも1番だったと話していました。
私が幼いころは専業主婦でした。洋裁学校を出ており、洋裁の腕はプロ級。先生にも一目置かれる腕前だったようです。だから、私が子どものころ着ていた服は母の手づくりの品ばかり。外国のファッション雑誌を見て、私がデザインし、母が型紙を起こして、形にしてもらうことも。母はどんなことも器用にこなし、働き者で、座っているのは食事のときだけ。私が座って本を読んでいると、なまけていると感じるほどでしたから。