リモートワークで最期まで妹のそばに

さらにリモートワークの制度を利用し週3、4日は在宅で仕事をする。おかげで、郷里の新潟で闘病する妹のもとへ通うことができたという。

風間さんのライフストーリー

妹は「いつか第九を歌ってみたい」と願っていたが、18年11月に入院した。風間さんはその夢をかなえるため、地元の合唱団に2人で参加。12月のコンサートには主治医も同行してくれ、とても楽しそうに歌っている妹の笑顔があった。

「『帰っちゃうの?』と寂しい顔で見送られ、後ろ髪を引かれる思いで東京へ戻ったのですが、会社で事情を話したんです。上司も思いをくんでくれ、それからは毎日病室で付き添いながら仕事をし、12月末に妹を見送りました。最期までずっとそばにいられたのは幸せでしたね」

それも今の会社で働き続けたからできたこと。東京で1人生きるためには、仕事を続けるのが当然と思っていたが、周囲の患者仲間からは仕事と治療の両立が難しいという話を聞くことも多かった。

会社側から治療に専念するよう勧められ、閑職へ異動させられるケース。有休を1日単位でしか取れず、治療が長期間にわたる場合辞めざるをえない人たちもいた。そうした現実を知るなかで、風間さんが取り組み始めた活動がある。厚生労働省の委託事業「がん対策推進企業アクション」が募集する認定講師に選ばれ、各地で自身の体験を伝えているのだ。

「『私はがんです』と、胸を張って言えるような世の中になってほしい。がんに罹患りかんすることは悪いことでも、特別なことでもありません。早期発見で正しい治療を受ければ、普通の生活に戻れることをちゃんと理解してもらえたらと思っているんです」

周りの理解を得ることで自分の生き方も前向きに変えてきた風間さん。仕事をあきらめないことで、日々の生活も楽しめるようになった。だからこそ「がんになっても働き続けられる社会へ」と、溌剌とした笑顔で呼びかけている。

文=歌代幸子 撮影=伊藤菜々子

風間 沙織(かざま・さおり)

1995年、31歳のときにアデコ入社。営業部門でのサービスコーディネーターを経て、業務管理部門、コンプライアンス部門、新規出店支援部門、社内システム改修プロジェクト、業務集約部門などさまざまな部署で活躍。現在はキャリア推進室に所属し、新サービスの提供に関わる社内業務プロセスの構築および運用を行っている。がん対策推進企業アクション認定講師。