すみません、私、乳がんでした
クリニックを後にすると、その足で真っすぐ会社へ戻った。リーダー格のメンバーに加えて部長と本部長に会議室に集まってもらうと、「すみません、私、乳がんでした」と報告。1カ月ほど休むことになると伝え、仕事の分担について話し合った。
部内の女性には、自分がしこりを見つけた状況や今後の治療などをメールにつづり、その日のうちに送信した。乳がんを患う日本人女性は11人に1人といわれるだけに、ちゃんと検診を受けてほしいと思ったからだ。すると「うちの母も……」とこっそり打ち明ける人が出てくる。
「皆、職場では言えない思いを抱えている」と風間さんは気づく。自分も病名を隠すことで、知らないところでうわさになるのが嫌だった。社内の理解を得たことで、入院の日も落ち着いて迎えることができた。手術の結果から、ステージ1でリンパ転移もなかったことがわかった。10日ほどで退院し、1カ月後に職場へ復帰。通院しながら抗がん剤治療を受けることになったが、仕事との両立は心身ともに衰弱することが多く最も辛い時期だった。
抗がん剤の副作用で毛髪は抜け落ち、吐き気や倦怠感、食べ物の味が変わる味覚障害も辛かった。通勤電車で貧血を起こすことも度々あった。
「あのころは、はうように会社へ行っていましたね」と振り返る風間さん。社内でも大きな局面にぶつかっていた。自分がリードし、熱意ある部下の女性たちと立ち上げた部署が組織改編で廃止されると決まり、何とか食い止めようと奮闘中だった。そのミーティングが通院と重なるときは、病院の待合室に待機して、自分も電話会議に参加していた。
「結局、3カ月間の抗がん剤治療が終わるころには部署もなくなりました。それでもあのとき部署を守りたいという思いがあったから、辛い治療も乗り越えられたのかもしれない。打ち込める仕事があって本当に良かったと思います」
働き方も見直した。以前は、どちらかというと仕事人間で残業もいとわなかったが、「私も『定時で帰ります』の人になりまして(笑)」。行きついたのが〈人生3分の1理論〉だった。
「私はがんになったことで、自分がやりたいことは全部やり尽くしたいと思ったんです。1日24時間のうち睡眠、仕事をそれぞれ8時間したら、あとの8時間は好きなように使いたい。人生を楽しむためにその3分の1を守ろうと決めました」
まずは「第九(交響曲第9番)」のコンサートに憧れ、合唱団へ入団。年末のステージに立つことがライフワークになった。毎年夏には世界各地を旅行する。「世界で一番行きたい国」に選ばれたラオスへの一人旅も満喫した。