顧客満足と利益の両立を叩き込まれた

「配属先の工場スタッフは約半数が知的障害を持った方。皆さんの手助けができればと考えて入ったのですが、新人がベテランの先輩たちの役に立てるはずがないですよね(笑)。自分でもびっくりするぐらい何もできなくて、仕事をなめていたなと痛感しました」

先輩たちに追いつこうと、和菓子づくりに励む日々が始まった。もともと目標を与えられると張り切るタイプ。そのおかげか成長も早く、少し仕事ができるようになってきた頃には、仕事の楽しさと同時に「自分がつくったものを買ってくれる人がいるんだ」と喜びも感じるようになっていた。

新人のほとんどが店舗に配属される中、工場勤務を命じられたのは細野さんただ一人。父親からは、娘だからといって甘やかされることもなく、「工場が経営的に成り立つようしっかり働きなさい」と口酸っぱく言われ、時には叱られることもあったという。

「そのおかげで、お客様に喜ばれるように、かつ利益も出せるようにという思いはかなり早くから持つことができました。それが仕事への意欲にもなりましたし、のちの配属先でもずっと同じことを心がけてきました」

工場で初めて父親の経営姿勢に触れ、同時に働くことの楽しさも知った細野さん。その後は結婚しても退職することなく、店長、企画室長、営業部長、商品本部長、取締役と着実にステップアップ。だんだんと会社の成長を担う立場へ近づいていく。

では、後継者としての自覚を持ったのはいつなのだろうか。あけぼのの創業家である植草家は、長女の細野さん、次女、三女、弟の4人兄弟。細野さんは幼い頃から、祖父母からも父親からも後継者は弟だと聞かされて育った。「だから自分が継ぐなんて、父から言われるまで思ってもみなかった」のだとか。

「これからは女性社長の時代」と言われて

曙 代表取締役社長 細野 佳代さん

当時は今ほど女性活躍が進んでいなかった時代。後継者は男の子という考え方も根強く、細野さんもそういうものかと思っていたそう。ただ、若い頃一度だけ、父親に「男だから女だからという考え方はおかしいのでは」と言ったことがある。しかし、女性は結婚して苗字が変わるんだからと相手にされなかった。

それが変わったのは2004年。役員会を前に父親と2人で昼食をとっていた時、突然「この後、来季からお前を社長にすると発表する」と告げられたのだ。驚いた細野さんが理由を尋ねると、返ってきた答えは「これからの時代は女性が社長になったほうが面白いことができる」だった。

「役員会が始まる10分前のことでした。弟がいるのにとも思いましたが、今まで部下たちと積み上げてきたものを生かすには私が受けるしかないと。10分しかなかったので、自分が一番大切にしてきた仲間たちの顔がパッと浮かんで、それで決断できたのだと思います」

続く役員会で、細野さんは再び驚くことになる。父親は事業承継について誰にも相談しておらず、弟や親戚を含む役員全員が寝耳に水だったのだ。「皆、なぜ私なのかという顔をしていた」と笑いながら振り返るが、就任後に苦労しただろうことは想像に難くない。どんな壁をどう乗り越えてきたのだろうか。

第一の壁は社内の反発だ。父親は皆を引っ張っていくカリスマ型の経営者で、先代を慕う社員からは「前社長の時代はよかった」という声もたくさん上がった。だが、細野さんにとってこれは想定内。自身が父親の経営姿勢を尊敬していたこともあり、無理に気持ちを変えさせようとはしなかった。

第二の壁は時代性。父親の時は商品さえよければ売れたが、今は売り方や接客にも創意工夫が必要な時代。この点は営業や商品企画の経験を生かして変革に取り組んだ。ただ、理念や品質の部分は大切に守り抜いたため、顧客や社員の心が離れることはなかったという。