ダメ押しで「子ども」を再び持ち出す
理由その3では、大人の自分たちの意見だけでは足りぬと焦ってか、ふたたび子どもたちを持ち出してきた。
【翻訳】
結婚したら、当然、一片の疑問なく自分たちで子どもを作って育てるのが当たり前で、もう国民の義務って言ってもいいですけれども、夫婦別姓が好きな人たちってそういうの全然考えてなくって、自分たちの都合ばっかりで子どものことホント考えてない。子どもカワイソー。家族の苗字がバラバラだったら、健全な心を持った子どもなんか育つわけないし。やっぱり苗字が同じなのがすなわち一体感。子どものこともっと考えてやってね。ホント子どもカワイソー。
——結婚と出産子育てがほぼ同義になっていて、しかも結婚は異性間の関係であると疑問なく断じているのも、いまの時代にはだいぶおめでたい。そして子どもが可哀想だと連呼するわりに、「親の苗字が同じじゃない環境で育つ子どもは健全な心を持たない、まともに育ってない、イレギュラーだ」とばかりのアンバランスな人間観には、失望を通り越してキナ臭い優生思想めいた何かさえ匂う。
10年前のこの請願書から、夫婦別姓と聞いて杉田水脈議員が放った「じゃあ結婚しなくていい」との脊髄反射的なヤジは、果たしてどれだけ進歩しているだろうか。彼女、いや、この「夫婦別姓なら結婚の意味がない」思想を支持する人たちは、つまり自分たちの結婚とは「同姓」であることによって絆を維持しているんですよ、それだけがかすがいで、最後の望みなんですよ、と自分たちの残念な結婚(観)を露呈していることに、気づいているのだろうか。
※編集部注:初出時、請願書について誤解を招く表現があり、文章の一部を修正しました。(2月12日14時40分追記)
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1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。