反対派が大真面目に綴ったトンデモ論旨

2009年に自民党の山谷えり子議員を通じて法務委員会に提出されたこの請願書の要旨は、参議院公式ホームページでアーカイブ化されたものを見ることができる。それはこのように始まっている。

“家族が同じ姓を名乗る日本の一体感ある家庭を守り、子供たちの健全な育成を願う。
ついては、民法改正による選択的夫婦別姓制度の導入に反対されたい。”

同じ姓を名乗る家族には一体感があって子どもたちが健全に育つが、そうでない家族には一体感がないから子どもたちが健全に育たない、だから選択的夫婦別姓反対、と悲しくなるほど浅はかな意見を真顔で言っている。家族が同じ姓を名乗らない文化は洋の東西を問わず世界のあちこちに見られる。それらの国では「(伝統的な日本と違って)家族に一体感がないので子どもたちが健全に育っていない」と、彼らの文化に対して喧嘩けんかを売るも同然の内容だったのだ。

「おいおい、家族の一体感ってのは同じ苗字さえあれば生まれるとでも思っているのか? この国で家族の悲劇がさんざん報道されているのを知らないのか?」とか、「夫婦別姓の他文化の子どもたちが健全じゃない、って誰がどんな基準でジャッジしたんだ?」「根拠は? いったいどのへんの統計からどう導き出してこんな恐ろしく無礼なことを言えるんだ?」つっこみどころ満載だ。10年前の請願書とはいえ、与党議員を通じて提出された文言として由々しきものであることに変わりはないだろう。

冗談だと思いたいけど本気(マジ)な理由の数々

請願書要旨には香ばしい「理由」が並び、それもツッコミどころに事欠かない。一行、いやワンフレーズごとに「ちょっと待て」とツッコんでいると、なかなか先に進めなくて困るレベルである。

“理由(一)夫婦同姓制度は、夫婦でありながら妻が夫の氏を名乗れない別姓制度よりも、より絆(きずな)の深い一体感ある夫婦関係、家族関係を築くことのできる制度である。日本では、夫婦同姓は、普通のこととして、何も疑問を覚えるようなことはなく、何の不都合も感じない家族制度である。婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更しても、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。また、氏を変えることにより自己喪失感を覚えるというような意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数である。現在の日本において、選択的夫婦別姓制度を導入しなければならない合理的理由は何もない。”
【翻訳】
「夫婦同姓制度のおかげで、日本の夫婦は絆の深い一体感ある夫婦関係や家族関係を築いているのッ! そんなことに不都合が生じるとか疑問を感じるとか言い出している人たちはフツーじゃないし、合理的でもない少数派だから、耳を傾ける必要ナシ」

——どうしたらそんなに強固に、自分たちが多数派で自分たちのものの見方こそが「普通」で正しいと信じこめるのだろうか? 自分たちの世間が狭い、視野が狭いとは、なぜ微塵みじんも疑わないのだろうか? そして何より、「絆の深い一体感ある夫婦関係や家族関係は夫婦同姓制度のおかげ」と口にする時点で、その人は夫婦関係の維持には自分の魅力や相互の愛情なんかは不問(たぶんそういうことに価値も自信も持っていない)、「苗字が同じ、だから一体!」と腰を抜かすほど乱暴で浅い結婚観、人間観を露呈している。そんなのと結婚したら、どんなひどい目に遭わせられても「苗字が同じ限り、夫婦だろ! 俺たち/私たち一体だろ!」と血走った目で断固離婚に応じずストーカー化しそうで、ちょっとしたホラーなみに怖い。