2019年12月、レイプ被害を訴えたジャーナリスト・伊藤詩織さんの一審勝訴のニュースは、多くの女性に前向きに受け止められたはずだ。けれど、伊藤さんが訴えを起こしてメディアに登場した17年、彼女に共感するどころか批判的な反応をする女性も多かったのはなぜなのか。コラムニストの河崎環さんが女性の心理を鋭くえぐる。
元TBS記者の山口敬之氏に対して損害賠償を求めた民事裁判に勝訴し、記者会見するジャーナリストの伊藤詩織さん=2019年12月18日、東京・霞が関の司法記者クラブ(写真=時事通信フォト)

被害者に投げかけられる、同性からの冷めた視線

「どうせ、何か裏があるんでしょ? 売名行為かな」
「ああいう顔立ちの美人は、何か潔癖そう。苦手なタイプ」
「男を欲情させることができる恵まれた容姿、むしろ羨ましいけどね」
「生き方が下手だよね。こじれてないで、うまく使えばよかったのに」

これらは男たちが放った言葉ではない。強姦被害者のジャーナリスト・伊藤詩織さんが訴えを起こしてメディアに登場した2017年当時、記憶の途切れる酩酊という状況下で「合意はあった」と主張する男から理不尽に強姦される可能性のある、同じ側に立つはずの女たちが、彼女に唾した言葉である。

合意なき一方的な性交渉は性暴力だ。その性暴力を受けたとして、顔と名前を公表して正当な手続きで毅然と社会へ訴え出た女性に対し、日本では同じ女ですら共感を示すことなく、そして悪意の自覚なくむしろ「自分は冷静な良識派である」くらいの意識で、ある種のセカンドレイプに加担してしまう人々が実は多くいたのだと言える。