写真提供=ヤマトホールディングス
宅急便が誕生した1970年代後半は、日本では核家族化が進み、親世帯から子供世帯宛てに荷物を送る需要が立ち上がってきたころ。主婦でも簡単に荷物が送れることからその需要にマッチし、全国の配達網が整備された。

少数に変えるとおのおのが知恵を絞り精鋭になる

——宅急便の事業は、そのようにして天と地と人の条件がそろったことで成長を続けた。それが、どのように変化したのでしょう。

【瀬戸】ここ数年の間に、「天の時」すなわち、市場のトレンドに大きな変化をもたらしたのが、eコマースの急激な拡大です。宅急便の送り手は、以前は個人や中小業者が中心でした。それが、eコマースの急拡大により、変化が生まれました。

荷物はどんどん増え、しかも、ネット通販の利用者は昼間は家に不在の人が多いので再配達も増える。天の状況が激変したのです。

——小倉さんが各センターの要員数を考えるにあたり、第2次世界大戦下でのアメリカ陸軍歩兵部隊のある分隊の活躍を描いたアメリカのTVドラマ『コンバット!』を参考にしたのは有名な話です。

【瀬戸】集団は人数が多くなると指示で動くようになり、やらされ感が出てしまう。少人数なら責任範囲が広がるので、一人ひとりが知恵を絞るようになって精鋭になる。そう考えて小集団制をとった。また、お客様は10人いれば10人ともニーズが異なるから、一番よいサービスを自分たちで判断するよう、現場に権限を委譲する。ヤマトには「ヤマトは我なり」という社訓があり、SDも一歩外に出たら経営者の意識を持ち、自ら考え、行動することが求められた。まさに、「全員経営」です。そして、現場の権限を明確にするため、センターごとに独立採算制を敷いたのです。

——瀬戸さんは会長時代、各センターを回って指導に注力されていました。ヤマトグループの競争力は、やはり全国を網羅するラストワンマイルの宅急便のネットワークです。SDの本来のあり方とはどのようなものなのでしょう。

【瀬戸】私が指導したのは作業面での集配改革と、センターソリューションと呼ばれた営業面での取り組みでした。集配改革では、「移動」「工程」「待ち」の3つの無駄をなくして生産性を高め、お客様に1分でも早く荷物を配達できるようにする。センターソリューションは、無駄をなくしてできた時間を使って、お客様の困り事を見つけ、グループの力を活用して解決策を提案する。その際、SDたちに伝えたのは、荷物には一つひとつに物語があるということです。

たとえば、あるセンターで新潟の会社宛てに朝一番に届ける荷物があった。SDに聞くと、その会社の社員が毎日、仕事で山形へ向かう際、持っていく必要な部品だという。ならば、山形にあるヤマトの営業所にその部品がいつもあるようにすれば、社員は山形に直行してピックアップできる。どの荷物も送り状を見れば、そこからお客様の困り事と解決策のヒントが浮かび上がる。それを自分の判断で提案するのがSDの仕事であり、それができるのがヤマトの本来の強みなのです。