歴史の「なんで?」を掘り下げる
歴史の出来事、人名、年号などを前から順番に覚えていくような勉強をいくらしても、歴史の流れはなかなかつかめません。
歴史の流れを自分で勉強するときのコツは、「なんで?」という視点で出来事にツッコミを入れてみることです。
鎌倉時代に起きた元寇を例に考えてみます。
北条時宗が執権を担っていた頃、チンギス・ハンの孫にして元の初代皇帝であるフビライ・ハンの使者が日本にやってきます。
フビライは日本に服属を迫りますが、日本は返書をしなかったので、ついに武力侵攻が行われました。
まず、元の3万人の軍が九州北部に上陸します。しかし、暴風雨によって元の船が沈んだため、日本は難を逃れます。その後、じつに14万人の元の大軍が再び日本に押し寄せるのですが、またしても日本は暴風に救われるのです。
出来事のつながりが見えてくる
ところが、話は「日本、超ラッキー!」で終わりません。せっかく元寇を乗り切ったのに、なぜか鎌倉幕府は、その後に失墜していきます。
ここで一度立ち止まって、「なんで?」とツッコんでみることが、歴史の「流れ」をつかむことにつながります。
だって、不思議に思いませんか?
二度も、暴風雨によってピンチを救われた超ラッキーな鎌倉幕府が、敵がいなくなった後に衰退してしまうのですから。
ポイントは、日本にとって元寇が「侵略から自衛するための戦争」だったことです。それまで、戦といえば、おもに国内の内乱でした。だから、勝者は、敗者側から領地を奪って恩賞にできたのです。しかし、自衛戦争だと、味方の戦功として土地を恩賞にできません。
元寇の後、味方に恩賞を与えることができなかった鎌倉幕府は、求心力を徐々に失っていき、失墜していくことになってしまうのです。
つまり、日本を攻め切れなかったものの、フビライ・ハンが鎌倉幕府崩壊への1つのきっかけをつくっていたということなのです。
ここで、元寇という出来事の「なんで?」を掘り下げたことで「鎌倉時代の最期」と次の時代の「室町時代」がつながりました。
こんな感じで、「なんで?」という視点で歴史を勉強していくと、歴史の「因果関係」がつかめて、つながりが見えやすくなります。
そして、そのような歴史の勉強を続けていくと、少しずつ、歴史の出来事が数珠つなぎにされていき、最終的に、自分の中に、歴史の大きな流れが浮かび上がってくるというわけなのです。