教育系YouTuberとして活躍している中田敦彦さんが、大人の学び直しのコツを伝授。日本史、世界史、文学、政治、衛材、英語……数ある分野の中で、まず手をつけるべきは「世界史」と断言します。その理由とは?

※本稿は中田敦彦『勉強が死ぬほど面白くなる独学の教科書』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/coverdale84)

「歴史」を軸に、その他の分野を横展開で学ぶ

大人の学び直しの勉強を始めるときに、最初にどの分野から手をつけていけばよいかと言うと、僕のオススメは、歴史です。

最初に、日本史と世界史を学んで、自分の中で歴史の知識の軸をつくります。

その次に、歴史の知識を軸にしながら、文学や政治、経済、アートなどの分野に勉強を広げていきます。

歴史の軸をつくるメリットは、ジャンルを広げていったときに、自分の頭の中で知識を1つに体系立てて整理しやすくなることです。

歴史と関連付けて学べるので、自分の頭の中に定着しやすくなるのです。

行き当たりばったりで、いろいろなジャンルに手を付けてしまうと、まったく使い物にならない知識が頭の中に積み上がるだけなので、要注意です。

また、歴史を学んでおくと、理解力そのものも格段にアップします。

たとえば、文学作品やアート作品は、作品の時代背景がわかっているのといないのとでは、理解の深さがまったく変わってきます。

政治や経済についても、現在の視点だけで理解しようとするのではなく、国家や貨幣、法律、憲法、税制度などの歴史を学んでいたほうが、本質的な理解ができるようになります。

英語については、僕自身がまだ偉そうに語るレベルに及んでいないのですが、語学もやはり、その裏には人や文化の歴史があります。そういう意味では、イギリスやアメリカなどの英語圏の国の歴史を学んでおくことが役立つことはあると思います。

歴史の「なんで?」を掘り下げる

歴史の出来事、人名、年号などを前から順番に覚えていくような勉強をいくらしても、歴史の流れはなかなかつかめません。

歴史の流れを自分で勉強するときのコツは、「なんで?」という視点で出来事にツッコミを入れてみることです。

鎌倉時代に起きた元寇を例に考えてみます。

北条時宗が執権を担っていた頃、チンギス・ハンの孫にして元の初代皇帝であるフビライ・ハンの使者が日本にやってきます。

フビライは日本に服属を迫りますが、日本は返書をしなかったので、ついに武力侵攻が行われました。

まず、元の3万人の軍が九州北部に上陸します。しかし、暴風雨によって元の船が沈んだため、日本は難を逃れます。その後、じつに14万人の元の大軍が再び日本に押し寄せるのですが、またしても日本は暴風に救われるのです。

出来事のつながりが見えてくる

ところが、話は「日本、超ラッキー!」で終わりません。せっかく元寇を乗り切ったのに、なぜか鎌倉幕府は、その後に失墜していきます。

ここで一度立ち止まって、「なんで?」とツッコんでみることが、歴史の「流れ」をつかむことにつながります。

だって、不思議に思いませんか?

二度も、暴風雨によってピンチを救われた超ラッキーな鎌倉幕府が、敵がいなくなった後に衰退してしまうのですから。

ポイントは、日本にとって元寇が「侵略から自衛するための戦争」だったことです。それまで、戦といえば、おもに国内の内乱でした。だから、勝者は、敗者側から領地を奪って恩賞にできたのです。しかし、自衛戦争だと、味方の戦功として土地を恩賞にできません。

元寇の後、味方に恩賞を与えることができなかった鎌倉幕府は、求心力を徐々に失っていき、失墜していくことになってしまうのです。

つまり、日本を攻め切れなかったものの、フビライ・ハンが鎌倉幕府崩壊への1つのきっかけをつくっていたということなのです。

ここで、元寇という出来事の「なんで?」を掘り下げたことで「鎌倉時代の最期」と次の時代の「室町時代」がつながりました。

こんな感じで、「なんで?」という視点で歴史を勉強していくと、歴史の「因果関係」がつかめて、つながりが見えやすくなります。

そして、そのような歴史の勉強を続けていくと、少しずつ、歴史の出来事が数珠つなぎにされていき、最終的に、自分の中に、歴史の大きな流れが浮かび上がってくるというわけなのです。

学生時代より10倍面白くなる! 歴史の学び方

「学生時代、歴史は、日本史か世界史のどちらか一方だけを勉強しました」

おそらく、このような人がほとんどだと思います。

僕も高校時代は日本史選択だったので、社会に出てから、世界史をよく知らないというコンプレックスがありました。

日本史と世界史を両方学ぶと、歴史の勉強が断然面白くなります。

たとえば、学生時代に日本史だけを学んだ人は、さきほどお話しした元寇について、「モンゴル軍が日本へ攻めてきたけど、なんとか追い返すことができた戦い」という程度の認識だと思います。

でも、世界史を学んで、チンギス・ハンの圧倒的な力と彼がつくったモンゴル帝国の広大さを知ると、このときの日本がいかに大ピンチだったかがよくわかるようになります。日本にとって、「ほぼ絶望的な戦い」だったことがより鮮明にイメージできるようになるのです。

YouTubeの授業動画を配信するために世界史を学び、その後、日本史を改めて勉強してみたのですが、学生時代の10倍日本史が面白くなっていました。なぜ、世界史と日本史を両方学ぶのがそれほど楽しいのかといえば、日本史の出来事を世界史の視点から眺められるようになることの他に、もう1つ、日本史と世界史の中に、「共通点」を見つけ出せるようになることがあります。

日本史と世界史の共通点を意識するとさらに面白く

たとえば、中国・秦の始皇帝には、「農民の反乱を恐れて、農民から武器を取り上げて釣り鐘にした」という記録が残されています。

このエピソード、日本史の中でも聞いたことがないでしょうか?

そう、豊臣秀吉が行った「刀狩り」という政策と非常によく似ているのです。秀吉は天正16(1588)年に刀狩令を発し、大仏の鋳造を理由に農民から武器を徴収しました。秀吉の目的は、農民の武装を解いて一揆を防止することにあったと考えられています。始皇帝の狙いと、完全に一致しています。ここでもう1つ面白いのが、それぞれの政策が実施された時期です。

秀吉が刀狩りを行ったのは、1500年代のほぼ終わりです。始皇帝が農民から武器を取り上げたのは紀元前200年頃。いかに始皇帝の政策が新しいものだったかがわかります。これも、世界史と日本史を両方学ぶからこそ、得られる視点です。

他にも、始皇帝は、金持ちの有力者の反乱を恐れて重要人物を首都に住まわせています。このエピソードもどこかで聞いたことがありませんか?

江戸時代に、徳川家光によって制度化された参勤交代です。

参勤交代は、全国の各藩の大名に、1年おきに江戸と国元を往復させるという制度です。さらに、大名の正妻と世継ぎを人質として江戸に住まわせなければならないという決まりもありました。これによって、各藩は経済力が削がれ、天下泰平につながったとされています。

始皇帝の施策は参勤交代制度とは異なりますが、根本的な発想が似ていることに驚かされます。

(中略)

また、世界史のあとに日本史を学んだら、次は、偉人伝を学んでみると、様々な角度から歴史を眺められ、さらに多くの発見ができるようになるのでオススメです。

「推しメン」をつくろう

以前、テレビ番組『アメトーーク!』(テレビ朝日系列)の「勉強大好き芸人」の回に僕が出演したとき、「推しメン」をつくって歴史を勉強するという方法を紹介しました。

「推しメン」をつくるという勉強法は、今でも活用しています。僕のYouTubeチャンネルで配信している歴史や現代の「偉人伝」は、まさにこの「推しメン」をつくることから生まれているコンテンツです。

「推しメン」という言葉を聞いたことがない人に簡単に説明すると、好きなアイドルグループの中で、特に大好きなメンバーを一人つくる、ということです。

アイドルグループの中に「推しメン」ができると、その推しメンをもっと知りたいと思うようになって、自然といろいろ調べるようになります。

そして、推しメンを中心に、仲の良いメンバーや同期のメンバーへの理解も進み、結果的に、アイドルグループ全体の理解が深まっていきます。

この原理を歴史の勉強に応用するのです。

歴史の登場人物をひたすら無機的に覚えるのは苦痛ですし、それでは頭にまったく残りません。

側室が40人、子どもが50人以上いた将軍

そこで、1つの時代の中で「この人が好きだ」という人をつくり、その人を中心としたストーリーで理解するようにします。

推しメンは、坂本龍馬のような誰もが知るスーパースターでなくてもかまいません。むしろ、スターの影にちょっと隠れているような人物を「推しメン」にするのが、個人的にはオススメです。

徳川将軍の中でいうと、僕の推しメンは11代将軍の徳川家斉です。

「えっ? ……家斉?」という反応をした人がほとんどではないでしょうか?

徳川将軍といえば、初代の家康や、3代将軍の家光、「生類憐みの令」で有名な5代将軍の綱吉、米将軍と呼ばれた8代将軍の吉宗、そして、徳川最後の将軍となった15代将軍の慶喜あたりが一般的には有名でしょう。

家斉は、一般的にはあまり知られていない将軍ですが、かなり特異なキャラクターです。政治的には松平定信によって寛政の改革が進められましたが、松平定信が退任すると、政治は緩み、幕府は少しずつ崩壊の道をたどるようになります。

家斉が何といっても面白いのは、側室が40 人もいたとされていることです。

しかも、なんと50人以上もの子どもをもうけているのです。たしかに将軍にとって跡継ぎ問題はとても重要ですが、それにしても、どうかしています(笑)。

家斉は将軍職を退いたのちも、大御所と称して権力を保ち、長期にわたって浪費を繰り返しました。

推しメンである家斉を起点にすると、その時代の退廃的な化政文化などにも興味がわいてきます。推しメンをつくる効果は、なかなか侮れないものがあります。

(中略)

スピンオフストーリーをつくると盛り上がる

ちなみに、「推しメン」と正反対のコンセプトの歴史の勉強法もあります。

先に、日本史でも世界史でもよいので通史をざっと学びます。その後に、「興味がわいた出来事」をピックアップして、その出来事に登場する人物の生涯を、ドラマや漫画の「スピンオフストーリー」のように捉えて勉強してみるのです。

中田敦彦『勉強が死ぬほど面白くなる独学の教科書』(SBクリエイティブ)

人物を選ぶポイントは、「なんでこの人は、このとき、こんな行動をとったんだろう?」とか、「この人は、この出来事の後、どうなったんだろう?」などと思える人をピックアップすることです。

あと、ドラマや漫画のスピンオフと同様に、ピックアップする人物は、主役ではなく、脇役がオススメです。

人物の生い立ちから勉強していき、その出来事にたどり着いたときには、「ついに、このときがきたーっ!」という感じで盛り上がれます。

あと、面白いのが、その人物の視点をとおして出来事をもう一度見てみると、最初に自分が捉えていた出来事の印象と、まったく違うように見えたりすることです。これが、まさにスピンオフの1つの醍醐味でもあります。

たとえば、日本史だったら、関ヶ原の合戦において、土壇場で西軍を裏切り、東軍に寝返った「裏切り者」の小早川秀秋などは、スピンオフストーリーとして追いかけてみると面白いかもしれません。