事業の立ち上げ期に3度目の発病
そうした立ち上げ期のバタバタのころ、長男の白血病の再発が判明する。
3度目の難局だった。しかし、市原さんだけでなく長男も、1回目、2回目の治療時よりずっと強くなっていた。
長男はすでに小学校6年生になり、入院時も一人で何でもできるようになり、付きっ切りの看護は不要だった。
また、今回は抗がん剤治療ではなかった。小学校4年生になっていた次男の白血球の型が長男の型と適合していることがわかり、次男をドナーとした骨髄移植手術が行われたからだ。
骨髄移植はドナーにとっても大きな負担がかかる。骨髄が適合しているとわかった時、市原さんは次男に「どうする?」と尋ねると、「もちろんやるよ!」と感受性の高い次男はうれしさのあまり泣きだした。
そうして、手術は成功し、拒否反応もほとんどなく、退院することができた。こうして、次男の力も借りて、白血病の壁を乗り越えていくことができたのだった。
投資家の厳しい言葉に傷つくことも
ここから市原さんの人生が、また仕事へとドライブしていく。
パーソナルスタイリングサービスには順調に顧客がついた。継続率もよく、2016年半ばには、事業をスケールさせるための投資家探しを始めた。しかし、これが大変だった。
なにせまだ規模が小さく、かつリピート客を積み上げていくようなビジネスモデルだ。売上を包み隠さず伝えると、「そんな小さい数字で出資してもらおうなんて恥ずかしくないの?」という投資家の心無い言葉に傷つくこともあった。
そんな中、18年5月にエンジェル投資家が「オリジナルブランドを作ること」を条件に2000万円の投資をしてくれることになった。その資金で9月にオリジナルブランド「ソージュ」を立ち上げた。商品点数はたった3点からのスタートだった。それでも、自身のブランドを持ったことが次の資金調達にもつながった。
代官山に店舗をオープン
こうしてようやく事業も波に乗り、同年10月、代官山に実店舗となるスタイリングサロンをオープンした。
今年(19年)9月には、「ソージュ」を核にしたワードローブづくりをスタイリストがサポートする年間プランも開始した。今後は、1万点以上あるアイテムから10点ほどに絞れるような機械学習を取り入れるなど、スタイリストの仕事の効率化も進めていくという。
「企業の看板を背負っていた仕事をするのはある意味ラクでした。起業したら、会社の信用もなく、全然相手にしてもらえないこともあった。でも、今は自分で決めたことを好きなようにやっている納得感がある」と市原さんは言い切る。
家庭のほうはというと、兄弟げんかで、次男が「お前なんかに骨髄あげるんじゃなかった!」と悪態をつくほどに、長男は元気になった。
家族とともに自分の人生がある。一歩ずつ、市原さんは前に進んでいく。
文=藍羽 笑生
1976年生まれ。東京大学教養学部卒。2児の母。アクセンチュアで3年間経営コンサルティングに従事。ルイ・ヴィトン ジャパンにて4年間CRM(カスタマーリレーションシップマーケティング)に従事。息子の闘病、フリーランスの期間を経て、2014年にモデラートを設立。