告知を受けたとき脳裏に浮かんだこと
長男が風邪をひき、なかなか良くならない日々が続いた。そのうち、貧血の症状が出てきたため、医師に「血液検査をしたほうがいい」と検査を促された。
すると、検査した日の夕方、病院から急に電話がかかってきた。
「息子さんの白血球の値が異常です」
長男は白血病に侵されていた。市原さんは愕然とした。
告知を受けたとき、動揺した彼女は医師に尋ねた。
「私はこのまま仕事を続けられますか」――。
医師は、ちょっと難しいでしょうね、とだけ答えた。
市原さんの脳裏をよぎったのは、「これで仕事人生は終わった」という一言だった。
「なぜそんなことを考えてしまったのか。息子への罪悪感はいまだに消えません」と市原さんは後悔の言葉をつぶやいた。しかし、もともと仕事が大好きで、働き続けるために職場を選んできた女性であれば、だれだってそんな考えが脳裏をかすめることだろう。
入院は1年続き、会社を退社
長男はそのまま入院することになった。市原さんがいないと水すら飲まないほど「ママ大好きっ子」だった長男。抗がん剤治療の看護のため、まだ赤ちゃんだった次男を実の母に預け、市原さんも一緒に病院に寝泊まりする日々が始まった。入院から半年後、務めていたベンチャー企業は退社した。
長男の入院は1年続いた。入院中は母子一丸となっての戦いだった。「私自身の時間を取ることが難しく、歯磨きする時間すら取れない。歯周病になってしまいました」(市原さん)。
その努力が実り、無事退院し、通院治療での経過観察に切り替わった。とはいえ、体に負担の大きい治療の後で、一日中保育園にいるのはつらいということもあり、長男は幼稚園の年中児クラスに中途で入園した。息子の周囲の人々にどの程度病気の話をしていいのかも判断しかねて、自分自身も幼稚園のママ友の輪になかなか入れずに苦労したという。
しばらくは安穏とした日々が続いたが、恐れていたことがまた起こってしまう。
小学2年生になり、サッカークラブに通っていた長男が、車の中で嘔吐した。白血病の再発だった。
2度目の抗がん剤治療は、以前より強力な薬である「デカドロン」を使うことになった。デカドロンには食欲が激しく亢進するという副作用がある。「おなかすいた、もっと食べたい」とせがむ長男の姿がただつらかったという。前回同様、付きっ切りでの看病となったが、治療は成功し、長男は無事退院することができた。