もう職場復帰は無理かもしれない

育児のみならず、慣れない在宅看護に追われる日々。そこでまず直面したのは保活の厳しさだ。当時は障がい児の通える専門保育園がなく、通園施設も付き添いが必要で、医療的ケアが必要な子を預けられる環境はなかった。何とか道はないかと、生後すぐから居住地域で情報収集を重ねていたが、役所で相談しても「前例がない」と受け入れられない。もう職場復帰は無理かもしれない……と心は揺れるが、それでも働き続けたいという思いは切実だった。

外出中も優太くんのタイミングで、痰の吸引をする。

「優太とともに長く生きていくためには、今後もずっと手がかかり、様々なコストがかかります。だから私自身も税金を払い、必要な支援を得ながらやっていきたいと。社会の中でちゃんと軸をもって自立していくことが大事だと思ったのです」

1年半の産休・育休の期限が迫り、上司と面談すると、介護休暇制度ができたと知らされる。申請して1年の休暇を得ると、都内から近県まで預け先を探し、休暇切れ直前に1カ所だけ見つかった。NICU出身の看護師が立ち上げた保育園だ。

夫・崇さんの「引っ越そう!」のひと言で、世田谷区から保育園がある横浜へ転居。行政書士の夫は自宅でも仕事ができる体制を整え、保育園の送迎をはじめ、何かあればすぐ動けるようにしてくれた。綾さんはフルタイムで東京・丸の内の職場へ復帰。周りの理解も得ながら、残業せず仕事をこなすことに努めてきた。

「もうちょっと残ってやりたいと考えたこともある。その一方、子どもにもう少し手をかけてあげたくてもやりきれないことが辛かった。夫には『自分でコントロールしなければ何事も回らないよ』と諭され、本当にその通りで」と苦笑する綾さん。

子どもの成長に伴って課題は増える。優太くんは卒園後、県立の特別支援学校へ入学。学校では授業中も付き添いが必要で、夫が週4日、綾さんが週1日付き添うことになった。

2人のスケジュールを共有。できる限り合理化を進めるためデバイスも整備した。

親の務めは人工呼吸器をつけた息子のために痰を吸引し、胃ろうで食事を注入すること。授業中は教室内に机と椅子を用意してもらい、パソコンで仕事をこなす。綾さんは会社のテレワーク制度も活用してきた。

「いちばん問題なのは、医療や看護などの有資格者しか医療的ケアができないこと。誰かに預けることも難しく、日常のケアは親の責任として任されてしまうのが実情です。ことに家庭では母親が看るのが当たり前とされ、1人で抱え込んで疲弊し、家庭が壊れるケースもあります。シングルマザーになっても外へ働きに出られず、生活保護を受けるしかなくなったケースも見ているので、母親も働き続けられる環境ができていけばいいと思うのですが……」