出産後、夫婦で胸に秘めた覚悟

夫婦で待ち望んだ子どもが誕生したのは2010年1月。その瞬間、元気な産声を聞くことはかなわなかった。新生児仮死の状態でNICU(新生児集中治療室)へ。24時間の看護管理下で集中治療を受け、あらゆる検査が半年ほど続いた。

綾 綾子さん

ついに判明した病名は「先天性ミオパチー」。乳児重症型と告げられた。遺伝子の異常により体の中心に近い筋肉が作られにくく、呼吸やえんの機能が弱いという症状がある。多くは座ることも難しく、寝たきりになるという。10万人に1人の割合で発症するといわれる希少難病だった。

告知されたときの衝撃は今も言葉にならない。それでも胸に秘めた覚悟はあったと、綾さんは振り返る。

「実は子どもを身ごもったときに夫と話していたんです。生まれてくる子に何があっても2人で考えて対処していこうと。出産した直後も、この子はどのくらい生きられるかわからないけれど、2人でできることを積み上げていこうと話し合い、これから何をすべきかだけ考えました」

どんな困難が待ちうけていても、ともに生きる覚悟は揺るがない。優太くんは生後9カ月のとき気管切開術により人工呼吸器を装着。夫婦でたんの吸引などのケアを覚え、1歳3カ月でようやく退院を迎える。親子3人の新たな生活が始まった。

もう職場復帰は無理かもしれない

育児のみならず、慣れない在宅看護に追われる日々。そこでまず直面したのは保活の厳しさだ。当時は障がい児の通える専門保育園がなく、通園施設も付き添いが必要で、医療的ケアが必要な子を預けられる環境はなかった。何とか道はないかと、生後すぐから居住地域で情報収集を重ねていたが、役所で相談しても「前例がない」と受け入れられない。もう職場復帰は無理かもしれない……と心は揺れるが、それでも働き続けたいという思いは切実だった。

外出中も優太くんのタイミングで、痰の吸引をする。

「優太とともに長く生きていくためには、今後もずっと手がかかり、様々なコストがかかります。だから私自身も税金を払い、必要な支援を得ながらやっていきたいと。社会の中でちゃんと軸をもって自立していくことが大事だと思ったのです」

1年半の産休・育休の期限が迫り、上司と面談すると、介護休暇制度ができたと知らされる。申請して1年の休暇を得ると、都内から近県まで預け先を探し、休暇切れ直前に1カ所だけ見つかった。NICU出身の看護師が立ち上げた保育園だ。

夫・崇さんの「引っ越そう!」のひと言で、世田谷区から保育園がある横浜へ転居。行政書士の夫は自宅でも仕事ができる体制を整え、保育園の送迎をはじめ、何かあればすぐ動けるようにしてくれた。綾さんはフルタイムで東京・丸の内の職場へ復帰。周りの理解も得ながら、残業せず仕事をこなすことに努めてきた。

「もうちょっと残ってやりたいと考えたこともある。その一方、子どもにもう少し手をかけてあげたくてもやりきれないことが辛かった。夫には『自分でコントロールしなければ何事も回らないよ』と諭され、本当にその通りで」と苦笑する綾さん。

子どもの成長に伴って課題は増える。優太くんは卒園後、県立の特別支援学校へ入学。学校では授業中も付き添いが必要で、夫が週4日、綾さんが週1日付き添うことになった。

2人のスケジュールを共有。できる限り合理化を進めるためデバイスも整備した。

親の務めは人工呼吸器をつけた息子のために痰を吸引し、胃ろうで食事を注入すること。授業中は教室内に机と椅子を用意してもらい、パソコンで仕事をこなす。綾さんは会社のテレワーク制度も活用してきた。

「いちばん問題なのは、医療や看護などの有資格者しか医療的ケアができないこと。誰かに預けることも難しく、日常のケアは親の責任として任されてしまうのが実情です。ことに家庭では母親が看るのが当たり前とされ、1人で抱え込んで疲弊し、家庭が壊れるケースもあります。シングルマザーになっても外へ働きに出られず、生活保護を受けるしかなくなったケースも見ているので、母親も働き続けられる環境ができていけばいいと思うのですが……」

帰宅後から翌朝までのTo Doは60件

医療的ケアが日常的に必要な子どもの数は、現在1万8千人を超えている(厚生労働省報告)。だが、こうした「医療的ケア児」が増える一方、家族への社会的支援はまだ立ち遅れているという。そうした状況でも仕事を続けられたのは、やはり夫のサポートが大きかった、と綾さん。

「ペーパーワークや、考えなきゃいけないことが毎日山のようにあるので、どうやって効率的にこなしていくかを相談しながらやっています。本当にやっていけるか不安になるときもありますが、もっと合理化できることがあるとわかると、さらに頑張ってみようかなと思えるんです」

帰宅から翌朝にかけて行うことをリストにしている。食事の支度から寝る準備まで済ませ、子どもを寝かしつけると、呼吸器やおむつなどの補充、連絡帳の記入にお弁当の準備。朝も分刻みで支度し、〈ゆうた積み込み、ひざ掛けを足元に置く〉など60件ほどタスクがある。それを見直し、家族会議をするのが日課だ。

その仕組みを作った崇さんは、帰宅後のタスクの大部分を担う妻をこんな思いで見守ってきた。

「僕は『1つのタスクにかける時間を自分で決めなさい。それ以上やったら夜も寝られないよ』と話しました。細かくタイムスケジュールを作り、妻ができないときはできるだけ助けられるようにする。いわば共倒れを防ぐためにも大切なんです」

夫婦で情報を共有するデバイスもそろえ、働く妻を支えてきた崇さんは「コンサルティングフィーが欲しいくらい」と快活に笑うが、それは仕事でも活かされると期待する。

「彼女のような働き方はたぶん社内でも先例がないので、職業人としても大きなチャンスじゃないかと」

今は異動してさらに多忙になったが、家族の支えが励みになっている。

「優太も小学校に入る頃は『あーあ』と声を発するだけで、自分の必要なことを伝えるのも難しかったけれど、いろんな刺激を得るなかで成長している様子が目に見えます。この子がどうやって自立していけるかということを、本人の関心を掴みながら考えていきたいですね」

優太くんは4年生になり、勉強への興味も増している。親子で好きな電車を見に行くこともある。時間に追われる日々でも、一緒に過ごして「ああ、楽しいね」と思えるひとときにホッとする。この先、いかなることがあっても、家族3人でより良く生きていく覚悟は変わらない。

綾 綾子(あや・あやこ)
1998年、東京海上日動火災保険入社。海外の会社との間で行われる再保険取引に関する経理業務を担当後、関東甲信越地域の人事・厚生・採用業務および、部内の人材育成などを担当し、現在は再び経理業務に戻る。産休・育休と介護休暇制度を利用した休暇を経て2012年、フルタイムで職場復帰。