私たちに覆いかぶさるステレオタイプ

私自身は、仕事も大・大・大好きだけれど、食に対してフツーに関心があり、お金を出して食べに行ったり買ったり取り寄せたりも好きだけれど、基本的には自分で作った方が早いし安上がりだし、習慣として料理する女だ。料理することへの強烈な苦手意識と強迫観念と、どこか専業主婦的な価値観への憎悪の念を持っていた少々エキセントリックな団塊キャリア母のもとに育った結果、「そうは言ってもさぁ」と反発と学習と自己受容の帰結として日々豪華でもなんでもないフツーの料理をし、テキトーに家族に食べさせ、フツーにテキトーに食と酒を楽しむ女だ。

私もまた、先述の料理嫌いの女性たちとは違った環境ではあるにせよ、祖母の世代、母の世代に料理や家事へ「女の生き方」イデオロギーやバイアスが重ね合わされて語られているのを見て育った。その結果、私は料理という行為に対し、なるべく主体的でニュートラルでありたいと努めてきたように思う。「自分が食べたい、自分が食べさせたいと思い、作れるから作る。他人が私に作らせるのではない」というふうに。母の背中を見て、自分が料理を愛せないのに「女はこうあるべき」なんて概念に作らされている料理が、美味おいしいわけがないと知っているからだ。

他人の「こうあるべし」を気にせず自由に

いま、70代の母は料理はひとつもしないで、代わりに日々多忙を極め、生き生きと存分に仕事をする。実家のキッチンは、引退して晴れて「専業主夫」となった父のクリエイティビティが炸裂する独壇場だ。

「料理をする男は女々しい、キャリア女性は料理をしない、専業主婦は丁寧な暮らしをしたい」

いったい誰が決めたのだろう、こんなつまらないステレオタイプが世間で独り歩きして、ひょっとしてもしかして、真面目で頑張り屋の現代の私たちはそんなものに振り回され、自分の好みを押さえつけてまで、懸命に応えたり、強迫的に反発したりしてきたのではないか?

そんなどこかの顔も見えぬ赤の他人がうれしげに「そうあるべし」と言い放った基準に、いったいどうして私たちは人生の何十年をも費やして「そうですよねー」とおもねったり「冗談じゃないわ!」と反発したりしてるのだろう。それは「誰得」なのか? そもそもそれで誰かが得しているんだろうか?

桐島洋子さんのベストセラーエッセイから30年以上。食はシンプルに人生の楽しみであり、励みであり、感性の領域であり、人生の記憶だ。「食べる人」であれ「作る人」であれ、自分の意思で好きなものを食べられる元気な間くらい、料理や食に(他人の影響でのっかってきた)重たい意味を付加することなく、自由に楽しめる自由な人生でありたい。

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河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト

1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。