「夫が働いている」の説得力はゼロ

保育園が決定すると本格的に仕事を探しはじめた。どの会社も律儀に返事はくれたものの、「今は日本市場には力を入れてないから」という返事ばかりだった。

久山葉子『スウェーデンの保育園に待機児童はいない 移住して分かった子育てに優しい社会の暮らし』(東京創元社)

この街の企業に採用されるという幻想を捨てたとき、残された選択肢は自分で起業することくらいだった。確かに、スウェーデンに暮らしている日本人の先輩方で、フリーランスの通訳やコーディネーターとして活躍されている方は何人か知っており、わたしもそういう働き方をしてみたいという憧れはあった。

そう思いはじめたころ、東京の元職場の紹介で、日本の展示会に出展するスウェーデンの団体からパンフレットの翻訳を依頼された。

報酬の支払いにさいして、スウェーデンのクライアントから確認があった。

「あなたが個人なら源泉徴収をするし、会社なら源泉徴収はせずにあなたの会社番号を税務署に連絡するから教えて」

こういう小さな仕事はときどき舞いこむのかもしれない。それならここで一気に会社登録をしてしまおう。そう思いつき、すぐに会社登録を行った。日本で言うところの、個人事業主というやつだ。

会社登録自体はオンラインでできるのだが、税務関係の登録用紙の書き方がよくわからなかったので、税務署に出向いて教えてもらった。そのとき、税務署の人にとても驚かれた。

「今無職ということですが、失業手当ももらってないんですよね? どうやって生活しているの?」

「いや、夫が働いていて、わたしは家に二歳児もいますし……」

日本だとそれはごく普通の回答だと思う。でもこちらの税務署のお姉さんは、それではまったく納得がいかないようだった。夫が働いている、という答えにはなんの説得力もないみたいだ。やはりこちらでは男女関係なく経済的に自立しているのが当たり前なのだなとつくづく思わされた。

仕方なく「日本で働いていたころの貯金を切り崩してもいます」と説明すると、やっと納得してもらうことができた。そして、こう言われた。

「じゃあこの申請用紙の余白にそう書いておいてください。じゃないとみんなが『この人、どうやって生きてるんだろう』って不思議に思うから」

さっさと仕事を軌道に乗せて一人前に稼がないと、この社会では理解不能な存在になってしまうということか――。無事に会社登録はすんだものの、そんなプレッシャーがのしかかってきた。

十五時間保育で作業時間を確保

求職中――つまり失業者でも週に十五時間保育園に預けられるというのは、本当にありがたい。日本でも就職活動中に保育園に申し込む権利はあるが、待機児童の多い中、なかなか入れてもらえないのが現状だろう。就職活動中から預けられるというのは、非常によいシステムだと思う。

いざ仕事が決まったときに、同時に子供が保育園にフルタイムで入園するとなると、親子ともにかなりの負担になるが、就職活動中から預けていれば、慣れ親しんだ保育園に通う時間が長くなるだけですむのだ。

学校庁のホームページにはこのように規定されている。

失業中および育児休業中の親を持つ子供も、一歳になった時点で、一日最低三時間もしくは週に十五時間通う権利がある。

この十五時間保育のおかげで、わたしはやっとやりたかった作業に手をつけることができた。フリーランスとして仕事を受けるための個人事業主登録や、そのための税金の手続きなどだ。

娘のいない静かな自宅でパソコンを開く。窓辺に並んだ植木鉢は、春の日差しをいっぱいに受けている。スポティファイ(スウェーデン発祥のデジタル音楽配信サービス)で昔好きだったスウェーデンのアーティストを探しては、それをBGMに作業を進めた。わたしの生活にも、ようやく落ち着きが訪れようとしていた。

写真=iStock.com

久山 葉子(くやま・ようこ)
翻訳家

1975年生まれ。神戸女学院大学文学部卒。交換留学生としてスウェーデンで学ぶ。大学卒業後は北欧専門の旅行会社やスウェーデンの貿易振興団体に勤務。2010年に夫と娘の家族3人でスウェーデンへ移住。現在はレイフ・GW・ペーション『許されざる者』、ダヴィド・ラーゲルクランツ『ミレニアム5—復讐の炎を吐く女』(共訳)などのスウェーデン・ミステリ作品の翻訳のほか、日本メディアの現地取材のコーディネーター、高校の日本語教師などとして活躍中。