入社4年目にはグループリーダーとなり、後輩の営業ウーマンたちを束ねる立場になった。
「修学旅行が集中する5月頃は体力的にもしんどいですし、添乗すれば対人関係で嫌な思いをすることもある。後輩にはそういった思いをさせまいと守っていたんですが、本人が自分で困難を乗り越えることも大事なので、長い目で彼女たちの成長を考えれば、正解ではなかったかも」
試行錯誤しながらも営業成績はトップクラス。目標額を超えなかった年はないという。「あくまでひとりの営業であり、性別がたまたま女というような感覚。男女平等にチャンスが与えられる、良い会社なんですよ」
そして、28歳のときには、経験を積むため、オーストラリアへ。オセアニア支配人室に勤務し、カルチャーショックを受ける。
「まさに『豪(郷)に入っては豪(郷)に従え』。現地採用のスタッフは、みんな終業5分前にデスクを片付け始め、きっちり定時に帰ってしまう。当時の日本人と違ってワーク・ライフ・バランスを大事にする姿を目の当たりにし、価値観が大きく変わりましたね」
帰国して異動した営業開発室では、支店間をまたぐ大型プロジェクトを手がけるが、職場での人間関係で悩むことにもなった。
「それがモチベーションが最も落ちたときでしたね。私の直属の上司が、部下の仕事の進捗(しんちょく)状況をいちいち手帳に書き込んで確認し、報告を求めてくるような人で、私から見れば『その時間が無駄です』と(笑)。私より若い人たちもその報告のために無駄な時間を使いすぎていたので、抗議しました。すると『部下のくせに黙っていろ』というような反応だったので、がまんできず部署の会議中に『そのやり方はおかしい』と言ってしまったんです。でも今、自分が会議で部下からそんなことを言われたら嫌ですね(笑)」
仕事のスタイルが確立され、自信がついてくる30代らしいエピソード。これをきっかけに他の同僚からも不満が出て、上司のやり方は改善されたが、1年後には、新天地の広報部に異動した。