葬儀場を舞台に展開する「心」と「魂」の交流

漆原のパートナーとして、あるときはお腹の中に子供を抱えたまま不慮の事故で亡くなった妊婦の葬儀に、またあるときは、年端もいかないうちに命を落とした幼女の葬儀に立ち会うことになる美空。

そこには常に、美空と僧侶の里見にしか見えない故人の存在がある。そして、死してなお愛する家族への思いを託されることもあれば、自身の死を理解させ、天国へと送る説得を試みることもある。そこにはあるのは、決してオカルティックではない心と魂の交流だ。

物語を読み進めるうちに、つくづく葬儀場とは特異な空間であると実感させられる。遺族にとっては故人への思いに区切りをつける場でもあり、故人にとっては次のステージへ向かうための通過点でもあるこの儀式。両者に共通しているのは、そこで執り行われるのが、いずれも前へ進むために必要なセレモニーである点だ。生死の境に立ち会う中で、さまざまな事情、さまざまな感情に揉まれながら成長する美空の姿には、誰しも大きな共感の念を覚えるに違いない。

ほどなく、お別れです。できることなら耳になじませたくない葬儀場でのこの言葉だが、それは葬儀スタッフにおいても同様のようだ。物語内の1シーン、漆原が担当するやはり“ワケあり”の葬儀の場。棺の中に眠る変わり果てた娘の姿に言葉を失う父親の姿を見て、美空は心の中でこう語っている。

「おそらく、何度経験してもこの情景に慣れることはないだろう。いや、慣れてはいけない気がする。他人の悲しみとして受け流すようになってはいけないのだ」

この生々しい心の声は、著者のそれでもあるのだろう。第19回小学館文庫小説賞受賞者として世に出た長月天音は、自身も美空と同様に、大学時代に葬儀場でのアルバイトを経験したことを明かしている。葬儀場の舞台裏に関する細かな描写を見れば、さもありなんといったところだが、それ以上に印象的なのは、著者自身もまた、伴侶との死別を経験している点だ。