2018年10月、韓国最高裁で「元徴用工」の賠償権が認められた訴訟は、日韓関係に影を落としています。韓国は日本の不法な植民地支配を主張していますが、実際には、1910年の韓国併合から第2次世界大戦にかけて、日本は韓国のことを「日本の一部」として、さまざまな支援を行ってきたのです。その「愛情」の一つだといえるのが、皇族・方子妃を韓国王族・李垠に嫁がせたこと。彼女の生涯を追いながら、当時の日韓関係を見てみます。
李方子妃/皇室皇族聖鑑 昭和篇

朝鮮は「植民地」という搾取の対象ではなかった

かつて、日本は韓国のことを大切に考えていました。今日の我々が想像する以上にです。方子(まさこ)妃の存在がそれを示します。日本は韓国・朝鮮人を同胞と見なし、皇族女性を韓国王族に嫁がせ、姻戚関係を結びました。その女性が方子妃です。

昨年の10月のいわゆる「元徴用工」裁判の判決文では、日本の不法な植民地支配下でなされた強制動員への「慰謝料」として、「元徴用工」の賠償権が認められました。しかし、日本は「不法な植民地支配」などしていません。

当時の韓国・朝鮮半島は日本の「植民地」ではなく、「日本の一部」だったのです。日本と半島の関係は例えるならば、かつてのイギリスとアイルランドとの関係に近いものです。イギリスにとって、インドは植民地でしたが、アイルランドは植民地ではなく、「イギリスの一部」でした。これと同じことが日本と半島との関係についても言えます。

日本が当時の半島を植民地という搾取の対象として見ていたのならば、皇族が韓国王族と姻戚になることはあり得ません。イギリスは植民地インドの帝室(旧ムガル帝国)に対し、王族を嫁がせるという発想すら持ちませんでした。ただの搾取の対象に過ぎなかったからです。皇族を嫁せた日本は半島を決して、そのように捉えていなかったのです。

日本は極貧状態であった韓国に、道路・鉄道・学校・病院・下水道などを建設しました。特に、ソウルでは、劣悪な衛生状態で様々な感染症が蔓延していたため、病院の建設など医療体制の整備に最も力を入れました。支出が超過するばかりで、日本にとって何の儲けにもなりませんでした。

今日、日本の学校の歴史教育では、日本の朝鮮統治が植民地的収奪であったかのようなイメージを教えられ、「当時の韓国=植民地」という図式が多くの日本人の頭の中に刷り込まれています。しかし、方子妃の威厳に満ちた歩みを冷静に見ていけば、日韓関係の真実もまた、見えてきます。