それでもPTAが必要ない理由
このような活動の簡素化や合理化を進める改革が起これば、それでPTAの問題は片がつくのだろうか。それを考えるために、PTAの別の側面を見ておきたい。
前回の記事(PTAがベルマーク運動をやめない理由)で、PTAは区市町村から都道府県、そして国へと連なる縦の組織であることに触れたが、なぜ、PTAは国につながっていないといけないのだろう。
2018年8月、佐賀県で開催された「全国高等学校PTA連合会」大会において、吉野復興大臣が挨拶を行い、福島県の放射線量は他の都市と変わらないぐらいに戻ったのでどんどん、福島県に修学旅行に行ってほしいと呼びかけ、福島県の食材の給食への利用などを訴えた。
こうして風評被害の払拭という国の意志が、PTAという組織を通して末端の一会員にまで伝えられていく。慎重に考えたい保護者だっているだろうに。
PTAは戦後、占領軍(GHQ)の働きで作られたものだが、戦前の「母の会」の流れをくむ面もあることが、取材の過程で明らかになった。母の会は、子どもが戦地で国のために死ぬことを誇りに思う、国が理想とする母の像を体現する。たとえ、わずかであってもその流れがあるのなら、断ち切るべきだと私は思う。子どもの健全な育ちのための保護者組織であるのなら、国に繋がっている必要はないはずだ。学校独自の組織でいい。
PTAの代わりに何が必要か
取材に応じた母親たちは、揃ってこう言った。
「私たち、タダ働きが嫌なんじゃない。子どもにとって意味のある活動をやりたいんです。それも楽しんで」
だから、本の読み聞かせには多くの手があがるのだ。悪しき平等主義に貫かれ、母親たちをキリキリと苦しめる組織ではなく、やりたい人がやりたいように、子どもにとって意味のある活動を担っていく、ゆるやかな保護者組織に、PTAはそろそろ脱却すべきではないのだろうか。
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。弁護士秘書、業界紙記者を経てフリーに。主に家族や子どもの問題を中心に、取材・執筆活動を行う。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著作に『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)ほか。息子2人をもつシングルマザー。
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