しばらくしてから病の重大性に気づくのです。私は漫画家なのに、手がだんだん動かなくなってペンを持つことができなくなるかもしれない、という恐怖感に襲われたのです。歩けなくなるかもしれない、体力もなくなるからたくさん寝ないといけない、治療のためのステロイドを服用していると風邪をもらいやすいので人混みにも行けない、というないないづくし。余命は5年か、または寝たきりになる可能性が高い。女性としての楽しみをすべて捨てて頑張ってきた私から、どうして漫画家としての生活を神様は奪おうとするの!

当たり前のように、愛と優しさをくれる存在

そんな私を救ってくれたのが、病気になってから知り合った夫。私はご飯も作れないし、妻としての役目を何も果たせていません。夫は仕事が終わるとすぐ帰ってきて一緒にご飯を食べ、私の体をいたわってくれる。体調と精神状態が最悪のときは、彼の職場に電話をかけ続けたこともありましたが、仕事が落ち着けば夫は必ず折り返しの電話をくれた。「君がいてくれるだけで僕はうれしい。介護をさせてもらえるのが僕の生きがいだ」といつも言ってくれることが、どれだけうれしいことか。

(上)同じ病で苦しむ友人や、夫からの贈り物の数々。特に手指の保護として、手袋は必須アイテムだ。(下)北朝鮮による拉致被害者の救済活動にも参加している。活動の一環として、2018年はバチカン市国でオーケストラをバックに歌った。

彼は医師なので、私の病気への理解が深いこともありがたいのですが、ただそばにいて、当たり前のように優しさと愛をくれることに幸せを感じます。身の回りの世話をしてもらい、夫から生活費をもらって生きていくのは、最初は耐え難かった。それでも「仕事をしなくても、君に価値がないわけじゃない」と励ましてくれます。お金を稼げない私に存在価値があるなんて、仕事に固執していた日々から思えば信じられないような言葉でした。

周囲の友人のサポートも、なくてはならないものです。難病の会で知り会った友人とは、お互い具合が悪いときによくメールをします。「私たち、生きていて何の価値があるの?」と愚痴りあったことも……。“傷のなめあい”という人もいますが、私たちには絶対に必要なのです。

生死の境をさまよった時期もあったけれど、発症から10年以上経過しました。いろんな不調はありますが体調は安定して無事に生きています。余命5年か寝たきりと言われた私が、絵を描いたり、写真を撮ったりと芸術活動を続けていられるのは、奇跡のよう。

病気になる前、私の作品には「愛」がなかった。病を得て、人生に本当に必要なのは、名声でもお金でもない「愛」だと知りました。

さかもと未明(さかもと・みめい)
漫画家
作家、写真家。1965年生まれ。自身の病気についての著書に『神様は、いじわる』(文春新書)などがある。2017年画家デビュー。歌手としてのライブ活動のかたわら、版画と油絵の制作に集中している。

構成=東野りか 撮影=神ノ川智早