※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年7月号)の掲載記事を再編集したものです。
私は30代後半で病気になるまで文字通り仕事ざんまい。アクセルをひたすら踏み続ける毎日を送っていました。体力の限界ギリギリまで働いて、働いて。だから長年やりたかった大きなお仕事をいただけるようになったし、コメンテーターとしてテレビにも出られるようになって、収入もグンと増えました。でも、アルコールとタバコ漬け、睡眠時間5時間以下の毎日では、心と体が悲鳴をあげるのは当たり前……。
仕事とお金さえあれば、家族はいらない!
43歳ごろから全部の指が膨らみ、手足の痛みと赤らみ、微熱、だるさなどの異常や不調に悩まされて。病院で検査を受けたところ「膠原(こうげん)病」と診断されました。これは皮膚、血管、内臓、脳などの組織を、自分の免疫が攻撃する病の総称です。私は、そのなかでもSLE(全身性エリテマトーデス)、強皮症、シェーグレン症候群と診断されました。
さらに、治療は対症療法しかないので「治りません」と医師から宣告。言われた直後は、仕事とお金をどうしようと思ったくらいで、割と冷静だったような気がします。
どうして私はそこまで仕事にのめりこんでいたのか。昔から両親と折り合いが悪くて交流がなく、最初の結婚がうまくいかなかった私は、頼れる矛先をすべて仕事に向けていたのです。「家族も、恋人も何もいらないから、仕事と評価が欲しい」という、“飢え”にあえいでいました。
しばらくしてから病の重大性に気づくのです。私は漫画家なのに、手がだんだん動かなくなってペンを持つことができなくなるかもしれない、という恐怖感に襲われたのです。歩けなくなるかもしれない、体力もなくなるからたくさん寝ないといけない、治療のためのステロイドを服用していると風邪をもらいやすいので人混みにも行けない、というないないづくし。余命は5年か、または寝たきりになる可能性が高い。女性としての楽しみをすべて捨てて頑張ってきた私から、どうして漫画家としての生活を神様は奪おうとするの!
当たり前のように、愛と優しさをくれる存在
そんな私を救ってくれたのが、病気になってから知り合った夫。私はご飯も作れないし、妻としての役目を何も果たせていません。夫は仕事が終わるとすぐ帰ってきて一緒にご飯を食べ、私の体をいたわってくれる。体調と精神状態が最悪のときは、彼の職場に電話をかけ続けたこともありましたが、仕事が落ち着けば夫は必ず折り返しの電話をくれた。「君がいてくれるだけで僕はうれしい。介護をさせてもらえるのが僕の生きがいだ」といつも言ってくれることが、どれだけうれしいことか。
彼は医師なので、私の病気への理解が深いこともありがたいのですが、ただそばにいて、当たり前のように優しさと愛をくれることに幸せを感じます。身の回りの世話をしてもらい、夫から生活費をもらって生きていくのは、最初は耐え難かった。それでも「仕事をしなくても、君に価値がないわけじゃない」と励ましてくれます。お金を稼げない私に存在価値があるなんて、仕事に固執していた日々から思えば信じられないような言葉でした。
周囲の友人のサポートも、なくてはならないものです。難病の会で知り会った友人とは、お互い具合が悪いときによくメールをします。「私たち、生きていて何の価値があるの?」と愚痴りあったことも……。“傷のなめあい”という人もいますが、私たちには絶対に必要なのです。
生死の境をさまよった時期もあったけれど、発症から10年以上経過しました。いろんな不調はありますが体調は安定して無事に生きています。余命5年か寝たきりと言われた私が、絵を描いたり、写真を撮ったりと芸術活動を続けていられるのは、奇跡のよう。
病気になる前、私の作品には「愛」がなかった。病を得て、人生に本当に必要なのは、名声でもお金でもない「愛」だと知りました。
漫画家
作家、写真家。1965年生まれ。自身の病気についての著書に『神様は、いじわる』(文春新書)などがある。2017年画家デビュー。歌手としてのライブ活動のかたわら、版画と油絵の制作に集中している。