※本稿は、保手濱彰人『武器としての漫画思考』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
絶望感の描き方が日本一
筆者は1984年生まれで、『ドラゴンボール』の連載が開始されたのもまさに1984年という同い年。同級生として、自分にとって一番身近な漫画でした。
自身に最も影響を与えてくれた漫画も、間違いなく『ドラゴンボール』だったということができます。
弱きを助け強きを挫く、主人公の孫悟空が、ライバルたちに立ち向かっていく姿には毎回、心を打たれていました。
例えば、親友クリリンが魔族に殺され、亀仙人や、決死の覚悟の天津飯までもがピッコロ大魔王に敵わなかった時にはビックリしましたが、まだ幼かった孫悟空が最後まで立ち向かい、腕一本になりながら、ピッコロ大魔王を討ち果たしたのに深く感動しました。
こうした体験を通して自分自身も、どんな状況でも諦めず、困難に立ち向かっていきたいと、そのような価値観が強く形成されることになったんです。
その後のサイヤ人編でも、ナッパとベジータに手も足も出ず、チャオズが自爆しようが相手は無傷。天津飯の左腕もパンチ一発で吹き飛ぶという状況に、驚きを覚えていましたが、このように鳥山明先生は、「絶望感」を描くのが日本で一番お上手だったと感じています。典型的なのが、「私の戦闘力は53万です」というフリーザの名台詞ですね。
絶望に立ち向かって大逆転していく物語
だからこそドラゴンボールは、絶望に立ち向かって大逆転していく主人公たちの姿が引き立ち、強烈な印象を残してくれる作品になったわけです。この作品全体を通じて、「どんな状況でも諦めず、困難に立ち向かい、世の人々を救うために身を粉にしていく」という、今の自分の正義感の基盤を整えていただいたと感じています。
それが無ければ、おそらく自分は起業もしなかったでしょうし、苦労を乗り越えながらも今の形に辿り着くことは決してなかったと思っています。
さて、そんな『ドラゴンボール』という作品を構成する、漫画というメディアの特質について解説します。