仕事関係者に病気を公表できない苦しさ

手術中に採取したがん細胞の病理検査の結果、「浸潤性乳頭腺管がん」という病名が確定。転移を起こす可能性が大きいので“取って終わり”ではなく、長い治療の始まりだったのです。

(下)幼かった娘からもらった手紙。「娘を残して死ねない」という気持ちも励みに。

放射線治療後しばらくして再発してまた手術、そして45歳のとき、もっと胸の奥の部分に再再発。結局右胸を全摘出して、その後再建手術を受けることになりました。再発、再再発を告知されたときは、その前の告知よりもっと打ちのめされました。また同じことを繰り返すのかと思うと頭がおかしくなりそうで。そんな私の心の支えとなったのがふだんと変わらず接してくれた小さかった娘と夫、そして仕事です。

がんがわかったとき、仕事関係の方には公表しませんでした。テレビの健康番組に出演していたので「自分はがんです」とはとても言えない。番組が続く限り、病名を明かさないほうがいいと決めたのです。

でも、隠し通すのはかなり大変です。再発の手術の翌日の収録時に健康器具を紹介するシーンがあったのに、うまく腕が上がらない。「四十肩で腕がいうことをきかなくって」などとごまかすしかなく……。全摘した後に出演した旅番組の温泉シーンでは、バスタオルを全身に巻いて挑みましたが、随分とモタモタした記憶があります。

でも、忙しく仕事をしていたせいか、余計なことを考える暇がなく、がんの恐怖から逃れることができました。私の仕事に期待をしてくれている方がいることも支えになったのです。

私は17年まで、政府の「働き方改革実現会議」の民間議員を担当。がん患者さんの治療と仕事の両立を支援するには、主治医、会社、産業心理カウンセラーの「トライアングル型」のサポートが重要だと提言しました。治療と仕事の両立は、生半可なことではありません。本来は周囲の理解を得て、体の状況に合わせた業務にシフトしていくことがベスト。いつか完全復帰することを夢見て生きていく。それが理想かなと思うのです。

衣装=Yukiko Hanai メイク=外河有美子

生稲晃子(いくいな・あきこ)
女優
歌手、タレント。1968年生まれ。コメンテーターのほか、2017年まで働き方改革実現会議の民間議員も務めた。著書に『右胸にありがとう そして さようなら 5度の手術と乳房再建1800日』(光文社)。

構成=東野りか 撮影=キッチンミノル