現在50代の男性の父親は遠洋漁業の元船員で、酒を飲んでは母親や自分に暴力を振るった。そのため母親は子ども2人を連れて着の身着のまま家を出た。それから四十数年……。突然、“使者”がやってきて、80代後半の父親が認知症を患い要介護5となっていることを告げるが――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

酒乱の父親

四国地方在住の烏丸珠樹さん(仮名・50代・既婚・IT系会社員)は、現在妻と2人で暮らす自宅から、車で5分くらいのところで一人で暮らす90歳の母親を通い介護している。

烏丸さんの両親が結婚したのは、母親が30代前半、父親が30代後半のこと。お見合いだ。母親が33歳で姉を、34歳の時に烏丸さんを出産している。

当時、遠洋漁業の船員をしていた父親は、半年ほど仕事で家を空けては、20日程度の休暇で家に帰ってくる生活を送っていたが、酒を飲むと暴れた。

マグロの荷揚げ
写真=iStock.com/Worrachat Tunkheang
※写真はイメージです

ターゲットはもっぱら母親と烏丸さんだ。1歳上の姉はなぜか父親に可愛がられており、ほとんど危害を加えられなかった。

烏丸さんが高2になったある日、休暇でもないのに父親が突然帰ってきた。上司と喧嘩をして、そのまま退職してしまったという。烏丸さんと母親にとっての、本当の地獄の始まりだった。

朝から酒を飲んでは、何かあるとすぐに暴力をふるう。何がトリガーになるか分からず、いつも怯えていた。烏丸さんを庇う母親は、もっとひどい扱いを受けた。素手だけでなく、もので殴られ、足で蹴られることもあった。ガラスの灰皿を投げつけられたときは、母親の頭に当たり、出血がひどく、病院を受診した。

父親が仕事を辞めてから2〜3カ月経ったある夜。

「このままでは殺される」。そう思った母親は、父親が不在の隙に、子ども2人を連れて家を出た。ほぼ着の身着のまま、高3になっていた烏丸さんは高校で必要なものだけを持って、伯父(母親の兄)の家に転がり込んだ。

離婚調停

2カ月ほど伯父の家で暮らしたが、母親とすでに社会人になっていた姉が引っ越し先を見つけてくると、3人で移り住んだ。そこは元の家から車で20分ほど離れた場所にあった。

母親は父親が押しかけてくることを恐れ、父親に自分たちの居場所を知られないよう努めつつ、伯父に間に入ってもらい、離婚に向けての話し合いを進めた。調停も起こしたが、父親は一向に離婚に応じない。その頑固さは、調停員も呆れて「あんな人だと、本当に大変だったでしょう?」と母親に同情してくれたほどだった。

調停が数カ月に及ぶと、父親は伯父に復讐をほのめかすようになった。自分たちだけでなく、伯父にまで危害が及ぶことを恐れた母親は、離婚することを諦め、別居のまま暮らしていくことを選択。

家を出て以降、烏丸さんたちは父親とは会っていない。母親が離婚を諦めたことで伯父も父親と関わらなくてもよくなり、父親とは音信不通となった。母親は伯父の運送会社で働き、家族3人、貧しいながらも穏やかな時間を送った。