現在では、ライトがLED化された。これも、ボートレース桐生が業界初だった。

一度、死にかけた競艇場

ナイターの初開催から5年後の2002年、ボートレース桐生は桐生市の方針によって廃業の危機にさらされた。ボートレースは公営競技という特性上、施行者は自治体が担っている(1つの自治体・団体が施行している場合もあれば、複数の自治体・団体が施行している場合もある)。ボートレース桐生の場合、桐生市が第一施行者、笠懸町などの周辺自治体が共同で運営する阿左美水園という団体が第二施行者、われわれは施設会社として、場所を貸して家賃をいただくという構図だった。私がナイター設備を入れたのは、あくまでも施設会社として、できることをやったにすぎなかった。

業界全体で売り上げ減少が続く中、桐生市は営業努力を欠くだけでなく、「賃料を下げろ」の一点張り。当時、最も売れていた3連単舟券の発売機を導入することもなく、ブームから完全に孤立し、売り上げはみるみる落ちていった。券売所のキャストを含めると2000名を超える関係者がボートレース桐生に関わっていたのだが、本人とそのご家族のことを思うと、やる気のない桐生市と一緒に沈没できない――。私は腹をくくった。

私も「撤退」に1票を入れた

当時の桐生市長は、競艇事業からの撤退宣言を議会や住民説明会で繰り返し、最終的に「撤退に賛成か反対か」という住民アンケートを行った。私は桐生市に住む社員に「賛成」を勧めた。このまま桐生市が施行者として開催したものなら、怠慢経営から赤字が続き、税金でその穴を補填してもらうことになる。それでは公営競技の意義が根底から揺らぐ。桐生市には施行者から降りてもらい、新しい体制で運営するほかに存続の道はなかった。桐生市民だった私も、「撤退賛成」に1票を投じた。

新しい体制とは、施行者に一定額の利益を保証するかたちで、民間企業がすべての業務を担う方式だ。つまり、営業活動も含めて、われわれがやることになる。最初に、桐生市にこの話を持ち掛けたのだが、相手にされなかった。

桐生市長は競艇撤退を決定づけるために、第二施行者に関係する自治体にも住民投票を迫った。競艇場の所在地でもある笠懸町(現・みどり市)が行った住民投票では、競艇事業存続を求める票がギリギリ過半数を超えた。薄氷を踏む勝利だったが、この瞬間、第二施行者の阿左美水園が第一施行者となり、われわれが運営する民間委託方式に移行することが事実上決まった。

1つの時代が終わり、新しい時代が始まった

民間委託方式は前例がなかっただけでなく、法改正も必要になる大仕事だった。国土交通省に尽力いただけたこと、その他の関係者にも協力をいただき、2004年、第二施行者である阿左美水園のもと、日本で初めての民間委託方式が実現した。現在では、みどり市が施行者となり、われわれの関係会社であるボートネットワークという会社がすべての開催業務を受託し、競艇事業を行っている。自らの工夫で赤字体質を脱却し、売り上げを増やしていく、本当の戦いが始まった。現在でも、民間委託方式を採用しているのは、われわれとボートレース江戸川の2カ所だけだ。