審査部、法人融資部にいた30代半ばは、バブル経済崩壊後で、その後処理業務というハードな仕事が続いた。男性職場で「女性だから特別扱いされたくない」と歯を食いしばるようにして「完璧」を追求する中で見つけた、自分にしかできないマネジメントとは?

※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年4月号)の連載記事「女性役員の『失敗は星の数ほど』」を再編集したものです。

自分が選んだ道で、後悔はしたくない

「もし一日でも休んだら、もう出勤できなくなるかもしれない。何が何でも出行しなければ……。あの頃は自分にそう言い聞かせ、必死で歯を食いしばる毎日でした」

三井住友フィナンシャルグループ 執行役員 人事部研修所長 寄高由季子さん

30代半ばのどん底だった日々。上司との人間関係に悩み、仕事内容もハードで、袋小路に入ってしまったかのようだった。がんばっているのに評価されないつらさや理不尽さを味わい、体を壊しそうになる中で、「退職」という2文字が頭をかすめなかったわけではなかった。だが、そのとき、ふと思い出したのは入行時の自分自身の決断だった。

「大学院への進学や他の企業という選択肢もある中で、私は自分の意志でこの会社を選んだわけですよね。いちばんつらかったとき、そのことを思い出しました。私のポリシーとして、自分の選んだ道で後悔だけはしたくないと。振り返っても、過去は変えられないけれど、後悔しないように今を生きることはできるので、本当にギリギリのところまでやってみようと……。その気持ちで、何とか乗り切れたのだと思います」

言葉にすれば簡単だが、並大抵のことではなかったはずだ。バブル経済崩壊の後処理業務、行内の人間関係、中間管理職としての立ち位置に悩んだ時期なども含めると10年近くに及ぶ。しかし今、寄高さんの穏やかな表情を見ていると、そんな精神的、体力的に苦しい時期があったからこそ、現在のキャリアにつながっているのではないか、と感じさせられる。

男女雇用機会均等法1期生として住友銀行(当時)に入行。東京・日比谷支店を皮切りに銀行員生活がスタートした。20代は昼夜、週末を問わず無我夢中で働き、29歳で部長代理に昇格。与信、コンプライアンス、管理などの専門性を磨いてキャリアアップし、プライベートでも、趣味の音楽や美術、陶芸などへの造詣を深めるなど、30代前半まで順風満帆、充実した毎日を送ってきた。