同じモノを見ても、結果が違う
過日、日本を代表する企業の経営者と対談した折に、この経営者は「時代を感じて、時代を読む力が何より重要だ」と指摘され、加えて「変化を先取りするために、毎年ニューヨークには必ず出掛ける」と言われた。「時代を感じて、時代を読む」には、人と会って話を聞くなり、メディアを通じて学びを得たりすることが必要だが、何より欠かせないのは、自身の観察眼を磨いて「社会」を見ることだろう。
面白いことに、同じモノや同じコトを見ていても、人によって、そこから得るものや学習する内容は大きく異なる。仕事ができる人は、観察眼が鋭く、予兆を察知する能力が高い。観察眼を備えた人は、普通の人が気づかずに通りすぎてしまうトレンドや流行、隠れた消費傾向や消費動向を、あらゆる出来事の中から読み取っていく。この観察眼は、どのように生まれ、育まれていくのか。
ただ、社会の現象を読み取るだけでは、観察眼は身につかない。そこには、あるものが必要だ。
観察眼のある人は、何を見ているのか
「なぜ、この商品が売れたのか」
「どうして顧客は人気だった業態に飽きてしまったのか」
「生活者は、新しい消費行動をどこで起こしているのか」
こうしたビジネス上の課題を、日々自分に問い掛け、世の中の社会現象や生活者の行動を日々観察し、そこから学習していける人のことを「問題意識が高い人」と呼ぶ。優秀なリーダーは、いつも「問題意識」を自身の中で温め、「今、われわれ(自分)は何をすべきか」を自身に問いかける。
そして、自らの「問題意識」を自分の中だけでなく周囲の人にも伝え、広く意見を求めていく。こうすることで、本人が予想もしなかった考え方や賛同者(あるいは反対者)に出会い、自分の考えをさらに深めていける。
かつて、「現状を分析し、問題点を明確にした上で、課題を設定する」という「分析型アプローチ」を重視する時代があった。分析型アプローチは、客観的な根拠にもとづいて組織を動かす上で必要だが、分析だけで人は動かない。分析が精緻にされていても、担当者に「問題意識」がないと、誰の心も打たず、単なる分析で終わってしまうという面があった。
つまり、観察眼のベースは「問題意識」にある。