過酷な仕事も、自分の血肉になっている
「俳優さんの代役で、泥水に顔をつけたこともありました」
脚本家の大森美香さんは、テレビ局でADとして働いていた時代をそう振り返ります。
「テレビの現場で働きたい」と、事務職の傍らラジオ局主催のディレクター講座に通い、講師陣の1人だった関係者に直訴してADになったはいいけれど、怒鳴られっぱなしの毎日。ほとんど家に帰れないまま、一番下っ端としてありとあらゆる雑務をこなしたそうです。
「でも、エンドロールに自分の名前が出るとか、ちょっとしたことでも嬉しかった。脚本家の先生からファックスで届く原稿を、こっそり見るのも楽しみで」
フラフラになりながら、さまざまな経験を経て、やがて脚本家の道にたどり着いた大森さん。下積み時代の経験は、何一つ無駄になっていないと言います。
「過酷な仕事も、今の自分の血肉になっていますから」
みんなと一緒に作り上げていく今の仕事が大好き。まさに「天職」を手にした大森さんからは、目に見えないパワーがあふれ出していました。
特集では、転職や留学、起業などで積極的に働き方を変えてきた30~50代の女性30人の「キャリアの軌跡」も紹介しています。
「プライベートはほとんどなく、1年ちょっとで3kg痩せました」
と言うのは、日本テレビのディレクターから小料屋の女将に転身した中田志保さん。テレビ局で望まぬ部署に異動になり「もう無理……」と退職を決意。大好きな落語を聞ける小料理屋を開業しましたが、最初はお客さんが入らず苦労の連続。出費を抑えるために掃除やブログ更新、落語家への出演交渉まで、すべてひとりでこなしていたといいます。
「でも、会社員時代より断然ストレスが少ないんです」
芸者として活躍する久和さんの前職は、証券会社勤務。
「パンツスーツにショートカットで、朝から深夜まで働きづめ。疲れ果ててしまい、体調不良で退職しました」
好きなことを仕事にと、習い事だった日本舞踊の仕事をネットで探して花柳会デビュー。
「芸者には定年がありません。93歳のお姐さんも現役です!」