いま笑顔で輝く女性たちにも「じっと我慢する、低空飛行の時間」がありました。「プレジデントウーマン」(2018年4月号)では、50人の“ワーキングウーマン”を徹底取材。なぜ彼女たちは、理不尽な状況にも負けず、夢を追い続けることができたのか。特集の担当編集が一部を紹介します――。

若々しいのはずっと前に進み続けているから

特集では50人の“ワーキングウーマン”を徹底取材しました。冒頭では異分野からのキャリアチェンジを成功させた3人の「ターニングポイント」を紹介しています。

写真=iStock.com/AH86

「地獄の毎日でした」

弁護士の亀石倫子さんは、新卒で入った通信会社の保守的な社風になじめず、もんもんとした日々を送っていました。そんな状況を打破したいと思っていたとき、書店で偶然見つけた司法試験予備校のパンフレットに「これだ!」と、弁護士になることを決意。司法試験予備校へ通うことにしましたが、待っていたのはひらすら勉強、勉強の毎日。

「大好きなデパート通いもやめて、友達にも会わずに、本当に勉強ばっかりしていました。今思い出しても苦しくなるほど、本当につらかったです」

どんなに勉強しても合格は約束されない。早く結果を欲しがる自分との闘いです。合格までは、合格までは、と自らを追い詰めました。

「街を歩いていても、顔を上げられませんでした。みんながキラキラして見え、自分を惨めに感じてしまって」

ギリギリの精神状態で踏ん張り続け、みごと司法試験合格を果たした亀石さん。昨年には自分の事務所も開設し、今ではご自身が輝いています。

フジテレビのアナウンサーだった牛尾奈緒美さんは、現在、明治大学の副学長を務めています。結婚を機に20代でフジテレビを辞めて主婦になりましたが、数年間、アイデンティティーの喪失で思い悩んだといいます。

「少し前までは『アナウンサー』だったのに、『牛尾家の嫁』でしかない。そんな自分がむなしくなって」

やっぱり働きたい、と思い始めた彼女の背中を押したのは、ある女性の言葉でした。

「あなたはどうして結婚でキャリアを捨てたの? 古い世代のまねをすることなんかないのに」

専門性があって、ある程度自由があって、子育てを両立できる仕事は何か――。「家庭を守るのが女の仕事」、そんな常識にあらがって、自分なりの未来予想図を描きながら、ぶれずに学問の道を歩んだストーリーに、取材スタッフのみんなで感動しっぱなしでした。

大学の専任講師に採用されたとき、義父や夫は家庭に戻ることを望んだという絶体絶命のピンチでも「絶対に家族に迷惑をかけないから」と、周りを説得したそうです。

「何度もくじけそうになりましたが、ちょっとずつ山を登り、登っている人間にしか見えない景色をどうしても見たかったんです」

若々しくいられるのは、ずっと前に進み続けているからこそ。「何歳になっても登り続けたい」という牛尾さんには、まだ見たことのない景色がたくさん待っているようです。

過酷な仕事も、自分の血肉になっている

「俳優さんの代役で、泥水に顔をつけたこともありました」

脚本家の大森美香さんは、テレビ局でADとして働いていた時代をそう振り返ります。

「テレビの現場で働きたい」と、事務職の傍らラジオ局主催のディレクター講座に通い、講師陣の1人だった関係者に直訴してADになったはいいけれど、怒鳴られっぱなしの毎日。ほとんど家に帰れないまま、一番下っ端としてありとあらゆる雑務をこなしたそうです。

「でも、エンドロールに自分の名前が出るとか、ちょっとしたことでも嬉しかった。脚本家の先生からファックスで届く原稿を、こっそり見るのも楽しみで」

フラフラになりながら、さまざまな経験を経て、やがて脚本家の道にたどり着いた大森さん。下積み時代の経験は、何一つ無駄になっていないと言います。

「過酷な仕事も、今の自分の血肉になっていますから」

みんなと一緒に作り上げていく今の仕事が大好き。まさに「天職」を手にした大森さんからは、目に見えないパワーがあふれ出していました。

特集では、転職や留学、起業などで積極的に働き方を変えてきた30~50代の女性30人の「キャリアの軌跡」も紹介しています。

「プライベートはほとんどなく、1年ちょっとで3kg痩せました」

と言うのは、日本テレビのディレクターから小料屋の女将に転身した中田志保さん。テレビ局で望まぬ部署に異動になり「もう無理……」と退職を決意。大好きな落語を聞ける小料理屋を開業しましたが、最初はお客さんが入らず苦労の連続。出費を抑えるために掃除やブログ更新、落語家への出演交渉まで、すべてひとりでこなしていたといいます。

「でも、会社員時代より断然ストレスが少ないんです」

芸者として活躍する久和さんの前職は、証券会社勤務。

「パンツスーツにショートカットで、朝から深夜まで働きづめ。疲れ果ててしまい、体調不良で退職しました」

好きなことを仕事にと、習い事だった日本舞踊の仕事をネットで探して花柳会デビュー。

「芸者には定年がありません。93歳のお姐さんも現役です!」

「低空飛行の時間」がくれたご褒美

大学職員とベリーダンサー講師のWワーカーは、佐々木ルリ子さん。

「気がつけば43歳。冷や汗と脂汗しかかいていない! これではいけないと思って……」

気持ちのいい汗をかくため、ベリーダンスを習い始めて10年。姑に「いやらしい」と言われて意気消沈したこともありましたが、晴れて、53歳で講師になりました。

「10年後の目標は、アラブの楽器・ウードをマスターして教え子たちの踊りに合わせて演奏することです」

日本航空のCAとして海外を飛び回っていた大塚裕子さんは、お子さんのアトピー治療のため、会社を辞めて山梨移住を決意。42歳で、食品会社のパートに採用されます。

「営業の仕事は初めてだったので、入門書などを読みあさって勉強。なんとか新規契約をとれるようになりました。でも、パートの意見はほとんど聞いてもらえなくて」

専門のスキルがほしいと、アナウンススクールに通って県内の結婚式場での司会業をゲット。ほかにも、観光会社のコンシェルジュや語学学校の講師など、精力的に仕事をこなしてきました。

「子供たちを無事に育て上げたい」という思いで走ってきた大塚さんは、さらに今後、新しい仕事に挑戦する予定です。

「オシャレな場所で働きたい!」という自分の気持ちに素直になって、夢を実現したのは平良円乃さん。栄養士の資格を生かして中学校や保育園で働いていた平良さんは、だんだん将来への不安を感じるようになりました。

プレジデント ウーマン 2018年4月号 「働き方は、3年ごとに見直そう!」

「これからずっと、白衣を着て給食をつくる毎日。このままでいいのかな……」

憧れのカフェへの転職を果たして、現在は全体のマネージャーを任されるまでになりました。仕事が楽しすぎて、結婚するのをやめてしまったこともあるほど充実した毎日だそうです。

特集でお話をうかがった50人の“ワーキングウーマン”は、みなさん笑顔で過去を振り返ってくれました。彼女たちには共通点があります。それは、キャリア実現のカーブが上昇を描く前に「じっと我慢する、低空飛行の時間」があったことです。

読むだけで勇気が出る1冊です。ぜひご一読ください。