生き方を教えられた、忘れられない事件

2010年に開所した京都大学iPS細胞研究所(CiRA=サイラ)では、「iPS細胞の医学応用」という使命を念頭に、研究が行われている。iPS細胞技術を用いた再生医療の普及や創薬などをめざし、産学共同研究も開始。女性研究者の活躍もめざましい。

母のことで40年ほど経った今も記憶に鮮明な事件がひとつあります。中高ではずっと柔道をしていて、ケガが多かったのですが、高校生のとき、大学の教育実習で来ていた学生さんで柔道部の人がたまたま稽古をつけてくれたことがあったのです。

私は投げられるのがイヤで、きちんと受け身をすればケガなどしないのに、抵抗して手をついたりしたんですね。そのせいで肘を骨折。実習で生徒にケガをさせたというので、その人は責任を感じてずいぶん心配してくださいました。

夜になると家に謝罪の電話がありました。母は電話口で頭を下げ、「うちの息子が受け身をしなかったからに違いないので、先生のせいではありません。かえってご迷惑をかけて申し訳ない」と、一生懸命謝っているんです。自分の子どもが投げられて骨を折ったのに、相手を責めずひたすら謝る姿を見て、自分の母ながら「立派な人だな」と思いました。母はどんなときも、「いいことはおかげさま、悪いことは身から出たサビ」という精神の人で、他人を恨まない潔い生き方を教えてくれた気がしています。

運命を変えた母からの電話

1990年代の後半、アメリカ留学から帰国して、日本の大学で研究生活を始めたのですが、思うようにいかない時期がありました。相当追い詰められ、もう研究はあきらめて臨床医に戻ろうと考え、民間病院の整形外科医に就職しようとしたとき、母から電話がありました。「昨日、お父ちゃんが夢枕に立った。伸弥にもう1度考えなおすようにと言っていた」と言うのです。

“夢枕”だなんて、私は科学者ですから「そんな非科学的なことを言われても……」と思いましたが、母がそう言うのならもう1度考え直そうと思っていたところ、奈良先端科学技術大学院大学で研究室を持つチャンスを得たのです。これがのちにiPS細胞の研究成果につながることになりますから、あのとき父と母が助けてくれたのだなと、今でも感謝しています。