「お父さんを見かけたら逃げなさいね」
千葉県に住むTさん(21)は、外資系企業に勤める父と専業主婦の母、4歳年下の弟の4人家族で育った。「厳しい面がありつつもいろんな所に連れて行ってくれる父と、優しさで包んでくれる母といった、ごく一般的な家庭だった」とTさん。しかし、リストラによる父の収入減や子どもの教育方針を巡って両親はけんかが絶えなくなり、2011年、弟と共に、千葉県の自宅から母の実家がある北海道へと急に移ることになった。
当時小学5年生。「役所や学校で引っ越しの手続きを行い、親友に別れを告げたものの、何が起こっているのかよく分かりませんでした。父と離れることにも実感がなく、『渡り鳥みたいに、千葉と北海道を行き来できればいいな』と思っていました」
北海道は家族で何度も訪れた、楽しい思い出のある場所。新しい土地での生活にワクワクもしていた。通い始めた学校に友達もできた。ただ、父に対する母の嫌悪感は強く、両親が裁判所で争うなか、父とはほとんど会えなくなっていた。会えたとしても、裁判所内の無機質な一室。そこでの父はまるで別人のようにも見え、落ち着かなかった。「お父さんを見かけたら逃げなさいね」。母に言われ、ゲーム感覚で逃げ回ったこともあった。
「どうすればいいのか分からず心も体も固まった」
しかし次第に父や千葉での生活を思い出し、不安に襲われることが増えていった。母には「父に会いたい」と言うことはできなかった。中学に入学後、気づけば不登校になっていた。
「片方の親に突然会えなくなり、環境が変わって自分の将来も全く見えない。どうすればいいのか分からなくて、心も体も固まってしまいました」。Tさんは当時の状況をこう話す。
別離から2年後、調停で面会交流に関する合意がなされ、父と会うことができた。それをきっかけに、Tさんは自らの意思で千葉に戻ることにした。
だが、今度は母が弟を連れて住所を変え、どこにいるのか分からなくなってしまった。母側の弁護士の妨害で、弟には連絡さえ取れない。月1回という父と弟との面会交流の取り決めも、「子どもが会いたがっていない」などと守られず、「(父母)双方の意見の相違が大きい」として裁判所からは履行勧告も出されなかった。そのつらさから夜中に急に泣き出すなど、Tさんは感情の波にも襲われるようになった。「裁判所に『弟に会いたい』と何度訴えても、全く耳を貸してくれませんでした」。Tさんは声を震わせる。