大学受験のとき、印象的な出来事がありました。お嬢様校の環境に違和感を抱きはじめた私は、そのまま付属の大学に進学せず、飛び出すことを決めます。ところが、一番最初の入学試験が全くできず、落胆して大泣きした翌朝、勉強机の上に紙が1枚置いてありました。そこには「晴ちゃん、“意志あるところに道あり”」と母の字でひと言だけ書かれていました。当時の私にとってはものすごく重かったけれど、母のこの言葉は私の生涯の座右の銘となっています。型にはまらない私を嘆きながらも、「あなたは、自分の道を切り開いていきなさい」と最後はいつも背中を押してくれた母。「本当にそうだったね、ママ」と、今まさに思います。母の言葉は、死ぬまで私の背中を押し続けてくれるでしょうね。

(上)母方の家族。旧満州にて。チェックの毛皮を着ているのは晴乃さんの祖母。(中)お母様は家の中でもキレイにしていて、着くずすことがなかったそう。(下)晴乃さんとカナダで暮らす娘さん。娘さんの話になると「いつまでたっても心配よ(笑)」と母の顔になる晴乃さん。

今は、「ウーマノミクス」という造語も生まれ、女性が社会で活躍するようになりましたが、ここまでくるには、女性たちの、涙が出るような歴史があったわけです。時代時代のストーリーが紡がれ、「次の世代にはこう生きてほしい」と願う女性たちの聖火が手渡されてきた。そして進化した新たな女性像が誕生する……これはとても美しい女性たちの魂のリレーなんです。

私が子どもだった頃、日本は高度成長期に入り、男性たちは企業戦士として、国を立て直すべく働き続けました。自分の人生よりも日本の復興に命を捧げたわけです。女性たちはそんな男たちを支え、家庭を守り、心の中に宿る本当の声を犠牲にして生きてきた。そんな先人たちの自己犠牲にくすぶった思いが、今の私たちに伝承されている。

私は私で、当時は珍しかったシングルマザーの身で渡米し、髪を振り乱して営業先を回り、幼い娘に「マミー、行かないで!」と泣き叫ばれても取りつかれたように仕事をしてきました。母の世代から受け継いだ聖火、母の生きられなかった人生を生きてきたつもりだったけれど……。でも、娘の世代になったら、「それも違うよね。仕事か家庭かなんて、別に決めなくてもいいんじゃない?」となるでしょう。そして女性たちが何世紀もかけて求めてきた“女の理想的な生き方”にたどり着くのだと思います。