全国初の「女性ポンプ車機関員」となり、女性消防官の職域を広げてきた中村さん。激務を乗り越える原動力になっていたのは――。
防火服に身を包んで赤いはしご車の前に立つと、それまで柔和だった表情が別人のように引き締まる。その鋭い目には、彼女が一人の消防官として、長年にわたって後輩の範であろうとしてきた矜持(きょうじ)が感じられた。
現在、東京・世田谷消防署に勤務する中村さやかさんは、全国で「女性初」となる火災現場の仕事を続けてきた。
入庁は1993年。翌年に女性労働基準規則が改正され、女性が深夜業務に就けるようになると、消防ポンプ車を運転する機関員をすぐさま希望した。
女子大に通っていた頃から、自動車同好会に入るほど車が好きだった。社会に役立ち、かつ自動車に触れられる就職先を考えた結果、選択したのが消防官という仕事だ。
「それに、私の実家の隣が消防団の車庫で、火の見櫓(やぐら)があったんです」と彼女は言う。
思えば、幼い頃の記憶に強く残っているのは、地域で火災があるたびに聞こえた防災無線のサイレンだった。
消防団員が車庫に集まり、ポンプ車で出場していくのをいつも窓から見ていた。そして住宅地図を広げ、車庫から誰もいなくなっても、無線から流れ続ける指令を聞いていたのだった。
「無線で聞こえてきた番地を地図の上で確認して、出火場所を探していたんです。自分が消防官になったとき、そういえば子どもの頃からそんなことをしていたな、と不思議な気持ちになったのを覚えています」