「察する」が尊ばれる日本文化の中でとるべき行動とは

【河崎環さんの回答】

この「気が利く」という言葉は大変な曲者でして、日本のコミュニケーションにおける非常に典型的、かつ独特な感覚です。彼らにはものすごく大事らしいのに、何一つ具体的でないという、ひどいありさまです。「すべてコミュニケーションとは基本的に言語化して伝えるべきものである」との社会習慣を持つ文化から来た外国人からすれば、日本人は大真面目に「エスパーになれ」と言っているようなものです。

つまりは「人に言われずとも、自分から空気を読んで先回りし、他者のニーズをくみ、行動せよ」ということらしいのです。「わざわざこっちに言わせるな! 言われる前に気付け!」などと叱責されたりします。なんて理不尽なんでしょう。古くは織田信長の草履を懐で温めていた木下藤吉郎の時代から、“先回りの行動”は日本では高評価。「はぁ? 自分がこうして欲しいと思っているなら、その通り直接伝えりゃいいでしょうよ? なんで自分は口も開かずに、察して欲しいとか、まして察するのが当然みたいに思うわけ?」むしろコミュ障なのは「察しろ」と押しつける側の方じゃないか? と思うわけです。

ですから「気が利く」なんてのは、目に見えない空気を読むだとかナントカで五感以上の第六感をやたらと磨きたがる日本人の奇妙な精神習慣だと捉え、「郷に入れば郷に従え」と観光客気分で受け入れ、形式をなぞってまねしてあげればいいのです。「気を利かせろ」なんて特殊そうに聞こえることを言ってはいても、特別なことはせず通り一遍の対応をしてあげれば、彼らは満足します。

上司がキョロキョロしていたら「何かお探しですか?」「お困りですか?」、家族がダルそうにしてたら「疲れた?」「おなかすいてない?」「何か手伝おうか?」。おや、まるでこれは顧客満足のためのマニュアル対応ですね! そう、直接的なコミュニケーションを避けるくせに「ニーズを察しろ」だなんて、どこか「お客様は神様だろうが!」のクレーマー的。だからどんどんマニュアル主義になっていくんですね、日本社会って(毒)。職場でも家庭でも、顧客マニュアル対応で八方収まり、みんなハッピー(猛毒)。いやいや、日本人ってシャイなんですよ。ですから察してあげないとダメなんです。せめて私たちは、自分の思いやニーズはきちんと言葉にして伝える他者への親切さと厚顔さ(?)を持って生きていきたいものです。

※今回で連載「本田健と河崎環の『人生曼荼羅』」は最終回となります。ありがとうございました。

女性回答者プロフィール:河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。

文=本田健、河崎環 イラスト=伊野孝行